『見ないを見る−−川崎市ホームレス緊急一時宿泊施設建設を巡る声と力−−』宮田清彦
男の背中を追って、深夜の街を走った。
神奈川県川崎市川崎区でホームレスの支援活動を行っているNPO法人・川崎水曜パトロールの会の活動。街中に散らばるホームレス達に生活情報を刷り込んだビラを配っていくのだ。「どこに誰がいるのか、全然、分かんないだろ」。男は悪戯っぽく笑う。ビラを渡し、親しげに声をかけて、少し話して、男はまた走る。走らねば間に合わない程にビラを渡すホームレスの数が多いのだ。
公共施設の裏側、雑居ビルの軒下、暗く沈んだ駐車場の奥の奥、公園の片隅の草の中。歩道橋の階段の裏側。まさか、こんなところに、と思うような場所に彼らは潜んでいる。
暗闇に目が慣れていくにつれて一人一人の顔も区別がつくようになった。柔和な顔、力強い顔、弱々しい顔。一人一人、別人で、それぞれに違う生き方をしていることに気付く。全体的には、中高年が多いのだが、中には20代にしか見えないホームレスもいた。
「川崎の人は温かいよ」と、男は言う。マンションの踊り場で寝ているような人を追い出さない住民もいる。迷惑だというなら迷惑のかからないようにお互い調整しあう。「公共施設なんかだと、電気が消えれば、泊まってもいいって合図」にしている所もある。
しかし、一方、川崎では昨年約50人の「ホームレス」が亡くなったという。今年は放火と見られる火事も多かった。報道がその原因の一つだと、男は言っていた。2004年1月から2月にかけて、川崎区堤根地域で建設が予定されていたホームレス緊急一時宿泊所の建設予定地では、「再検討」を求める住民が抗議行動を行い、それが大きく報道されていた。報道された時期と一致するようにホームレスの住居、段ボールハウスから火の手があがった。すべてが放火だと断定することはできないが、中には、ガソリンに引火したかのように電線の高さまで火柱が上がった例もあった。もちろん、失火も含まれるだろう。しかし、それだけが原因とも思えない。ブラウン管の中に映った、ホームレス支援施設に対する抗議行動がホームレスに対する放火を助長させたのか。
住民によって展開された反発運動の末に施設は建設され、ホームレス緊急一時宿泊施設「愛生寮」は2004年9月現在、運営を続けている。
それにしても、ホームレスはどうしてこうも遠い存在なのだろうか。それは川崎で大きく報道がされても相変わらずだ。都市圏で生活をしていれば、通勤、通学の道すがら目に付く彼ら。彼らについての情報量は圧倒的に少ない。不思議なものだ。誰だって、一度くらいは見たことがあるのだから、大勢の興味を引いてもおかしくはないだろうに。しかし、実際はそうではない。
私達とホームレスという人々の間には、深い溝があるような気がする。何故なのか、取材を終えた今もよくわからない。
川崎の人々はその溝を突きつけられたのだろう。だから、彼らはいろいろな反応をした。その声と反応をたよりに、問題を考えてみようと思う。どうして、私達は彼らのことを見ないままでいるのか。変化し続ける社会は、今まで向き合う必要もなかった人々を、私達に突きつけることだって充分にある。だったら、その時、うろたえたり、何かの間違いをしでかしたりしないために、川崎の経験を少しだけ参照してみようと思う。
1章 都市と消費者の親密な関係
ホームレスは数えられない
遙か昔から、ホームレスに類する人々はいた。しかし、日本において、ホームレス問題が次第に注目を集めるようになったのは、97年〜98年くらいだろうと言われる。不況のあおりの中でホームレスは急激に増加し、目につきやすい存在となった。国も問題としてそれを認知し、2002年、国のホームレス自立支援特別措置法が制定。解決へと乗り出した。
自立支援法の制定を受けて、全国調査が行われ、ホームレスは全国に約3万人いるという数字が出た。川崎市の2004年の追跡調査によれば、川崎市に住むホームレスは1028人。しかし、これらの調査は目視で数を数えるという方法をとっているのだが、全てのホームレスを発見してカウントできるはずもなく、正確な数値を示しているわけではない。
解決へと乗り出すまでの長い時間と彼らの人口の捉えにくさは、それだけ問題の理解しにくさを示しているかのように思える。
しかし、理解されにくいその問題は、理解されないまま変化しつつある。そして、それは、川崎から見えてくる。
駅前の新しい「匂い」
ホームレス問題は都市特有の問題である。しかし、その都市自体も今、変化を迎えている。都市がそれぞれ特有に持つはずの「匂い」が変わってきた。
JR川崎駅東口、夜7時をまわると通勤客でごった返す。居酒屋の呼び子が威勢の良い声を張り上げて、ストリートミージシャン達が演奏の用意を始める。複合商業施設が軒を並べ、それぞれの施設が人を吸い込んでは吐き出していく。人口約130万人、政令指定都市の玄関口に人が絶えることはない。
駅前で、一際目を引くのは、2004年3月にグランドオープンしたばかりの商業施設「川崎ルフロン」。日航ホテルの横にある。入り口の階段はエメラルドグリーンの光を煌々と放っている。駅前をぐるりと見回してみると、この一角だけ少し明かりの色合いが異なっているように感じる。「川崎ルフロン」が目につくのは、幻想的な明かりが唐突な印象を受けるからだろう。やけに明るすぎるのだ。
西口にも新しい施設がある。こちらは2004年7月の完成。「ミューザ川崎シンフォニーホール」だ。駅の構内通路からアクセスできる作りになっている。本来、人気の少ない西口の一角を占める大型ビルで約2000名を収容するコンサートホールを擁する。西口は、開発の遅れている地域で夜になると闇に包まれる。しかし、この施設の一角だけが明るく光る。
それらの光は、街に調和しきれていない。つまり、川崎という街が本来持っていたはずの「匂い」がそれら施設からは感じられないのだ。そんな施設が新しく川崎に登場し始めている。
寝泊まり禁止
ミューザ川崎が開所するその2か月前、川崎駅に一つの変化が起こっていた。5月17日、市当局が禁止措置を行い、構内に寝泊まりしていたホームレス達が姿を消したのだ。
以前まではコインロッカーの上に荷物を入れた段ボールを整然と並べていた。夜になると、それぞれが荷を解いて、構内で眠りにつく。この駅にホームレスが寝泊まりするようになった時期はよくわからない。ただ、90年代初頭にはすでに問題にされていた。その間、駅や商店街、商業者施設の関係者からは幾度となく不満も漏れたようなのだが、禁止措置に至ることはなかった。寝泊まりしていた人数は100とも200とも言われこれまた定かではない。日によっても、年によっても変動する、正確に捉えることは不可能だ。唯一明らかなのは、「大勢のホームレス」が駅構内に寝泊まりしていたこと。禁止措置の範囲は、JR川崎駅構内の通路約170メートルで、構内の寝泊まりと長時間の荷物放置が対象になった。(『毎日新聞』2004年5月18日神奈川版)
禁止措置以降、ある者は新しく建設された野宿者一時宿泊施設「愛生寮」に移り、ある者は駅前に滞留を続け、ある者はまた別の所へ、それぞれ散っていった。
禁止措置は何故取られた?
音楽の街
まず、禁止措置を可能にした理由として上げられるのは、ホームレス緊急一時宿泊施設「愛生寮」の開所だ。新たな行き場を作ったことで、行政による厳しい「指導」が可能になったという見方だ。
そして、市が禁止措置に踏み切った背景には、ミューザ川崎シンフォニーホールの建設がある。阿部孝夫川崎市長の市政における一大プロジェクトと目されるホールは「労働者の街」から「音楽の街」を目指す同市にとっては最重要施設の一つとされている。京浜工業地帯の一翼を担い、日本の高度経済成長を牽引したと言われる川崎は、バブル崩壊以降、商業都市への転換を迫られている。消費活動の活性化を狙う立場からは、川崎公害問題などネガティブに捉えられがちなイメージを払拭し、集客力のある都市を目指すための施策が望まれている。文化都市の象徴たる存在として位置づけられているミューザ川崎は、市制80周年を迎える2004年7月1日にオープンした。市長の言葉を伝えるこんな新聞記事がある。
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駅西口のすぐ隣にできるホールへは、野宿生活者がいる通路などを通らなくてはならない。「表玄関にホームレスの方がいるのはちょっと困る」。阿部孝夫市長は(2004年)1月、ホールでのラインナップを発表する記者会見でこう言った。
「野宿生活者、安住の地は 市の宿泊施設、来月オープン(川崎発)」『朝日新聞』2004年3月9日朝刊第三社会面
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市長の言葉からは、川崎市が脱皮しようとしている文化都市に、ホームレスがそぐわないという認識がちらついて見える。駅構内での寝泊まり禁止措置の背景にあるのは、川崎市が抱く文化認識の問題だろう。
商業施設「ラチッタデッラ」の「匂い」
現在、文化は都市にとって有力な経済資源になっている。50キロ以内に横浜と都内の各商業地域と言った強力なライバルを擁する川崎市は、「魅力」を引き上げるための努力を続けているという。
そんな川崎にとって、もう一つの重要な施設が、駅からすぐ近くの川崎区小川町にある。2002年11月に完成した複合商業施設「ラチッタデッラ」。シネマコンプレックスを擁し、丘の上のイタリア風の街をモチーフに作られた施設だ。施設と言っても敷地の中に一つの街が作られたような印象で、お店や各種娯楽施設が入居している。
先が見通せないように曲がりくねった迷路のような小道は、次ぎのお店は何だろうと好奇心をくすぐる。中心のすり鉢状の広場には噴水がある。水しぶきに昼間の陽光が当たり、虹が見られる時もあることだろう。楽しげに笑うカップルやOL、家族連れが通りを歩く。洒落たジェラート屋やカフェ、ワインやシルバーアクセサリーのショップが並ぶ。施設は駅から数分の距離にあるのだが結婚式を挙げられるというチャペルの尖塔を眺めていると、駅前の雑踏は頭の隅へと追いやられ、川崎に居ることを忘れてしまう。
この施設と駅前の新興商業施設はどこか似ている。わかりやすいのだ。コンセプトが丁寧にまとめられ、見やすいよう消費者に呈示されている。そして、そのコンセプトは尖ったものでは決してなく、消費者は摩擦なく安心してその空間に居続けることができる。言い換えれば、一種類の「匂い」しかしないということなのかもしれない。
資源化された文化は誰にでも受け入れてもらえる普遍性を獲得するために、その「匂い」をうまく演出せざるを得ないのだろう。文化の「魅力」とは、本来、単線的に価値を序列化できるものではない。しかし、経済資源と化した文化の価値は、より多くの人々を魅了するという目的で引かれた一本の線上に配置せざるを得ない。だから、本来成り立ち得ない文化における「都市間競争」が成り立つのだろう。
ホームレスの一般的なイメージを思い浮かべる。彼らはそんな施設とは逆の「匂い」がしそうだ。ホームレスが不必要なのは、特定の「匂い」しかしない都市を必要とする誰かがいるからだ。フレッシュネス・バーガーのメニューを眺めながら、そんなことを考えて、私ははたと気付く。私もその一人かもしれない。そう、その日は、映画を見てきたばかりだった。満面の笑みで迎えてくれる案内係。ぬくぬくと気持ちの良い座席。ほど良く整えられた空調の中で響き渡る大音響。快適で楽しい商業施設。
「支配」と「保障」の関係
そんな気持ちの良い施設を私達が求め、結果的にホームレスを追いやっているとしても、私達消費者はその構造を直視できるのか。
唐突ではあるけど、私は東京港区六本木、あの街の朝を思い出す。夜通しうるさいあの歓楽街でレストランの給仕兼皿洗いのアルバイトをしていた。店では食べ残し、食べかすが大量に出る。六本木から人の影が薄くなるのは早朝だけだ。7袋ばかりのポリ袋に生ゴミをギュウギュウに詰め込んで店が閉まる早朝、店の前に出す。朝帰りの客が歩く通りには、同じような飲食店が並んでおり、店の前に同じようにゴミ袋を出していた。ポツポツと定間隔に生ゴミの詰まった袋が置かれている。ズラリと並んだゴミ袋は壮観でさえある。だから、あの街の朝はいつもすえたような匂いが充満していた。その匂いは人間が欲望を消費した印なのだと思う。
カラス達の鳴き声が街中に響いていた。電線の上で休むカラス達は急降下し、ゴミに止まり、くちばしで袋を破り、中身をついばみ始める。魚のお頭や肉片がカラスの口からはみ出ている。生々しく気持ちの悪い光景だった。自分の醜さを突きつけるような欲望の残りカスは見たくない。だから、お客はお金を払ってまで、店で食事をするのではないか。
お金は力だ、とつくづく思う。望む物「だけ」を手に入れることができる。そして、それができるのは都市にいればこそだ。
都市は、強制力=権力を基盤に成り立っているという考え方がある。本来的に食料生産機能を持たない都市はその調達を農村部からの輸送に頼らざるを得ない。それには強制力が必要になるのだ。だから、都市にはたくさんの物が集まり、それを求める人も集まる。社会学者藤田弘夫はこう書いている。「人間は様々な欲求を生み出していく。人間の行為は欲求を充足するためになされる。その際、人間はつねに人的、物的資源の<欠如>に突き当たる。そこで、人びとは人間の欲求に特定の規制を加えることで、特定の充足を保障するさまざまな権力を生み出してきた。こうしたなかで、権力は人間の生命の再生産や安全はいうに及ばず、内面の幸福にいたるまで、生活のあらゆる側面で『保障』すると同時に『支配』している」(P210『都市の論理』中央公論新社、傍点省略)。人間は自分で作り出した権力に、欲求を充足するための「保障」を求め、代わりに「支配」される。
楽しみを得るために集まる私達と誰の欲求にでも応えようとデオドラント化されつつある都市。そこにあるのは互恵的な寄り掛かりあい。都市と消費者の互いに「保障」し、「支配」しあう親密な関係の中で、「匂い」のするホームレス達の姿は薄らいでいく。ホームレスの寝泊まり禁止措置の背景にあるのは、そんな仕組みだろう。
2章 「保障」を求める力
商業者が求めた「保障」
2003年11月、前述の商業施設「ラチッタデッラ」の運営会社「(株)チッタエンタテイメント」は関係団体と共に「野宿生活者一時宿泊施設の設置促進を求める要望書」を市に提出している。都市と消費者の間の親密な関係は、より直接的には消費者とお店の間で取り結ばれるものだ。だから、市と同じくして、親密な関係を阻害される商業者達も「困って」いた
川崎駅前にオフィスを構える川崎商工会議所のHPを開くと、市への同じような要望書が並んでいる。その中の一つ、「川崎駅周辺のホームレスに関する提言・要望」は「ホームレスが地元住民はもとより商業界にとって、様々な形で悪影響と迷惑をもたらして」おり、「地元商業振興に大きな影響をもたらしている」ことを指摘している。数年前に作られたものだということだが、基本的な商業関係者のホームレスに対する認識を示していると言ってもいいだろう。具体的には、何が悪影響だったと考えているのか。
川崎中央商店街連合会事務局長の大津武雄氏は言う。同連合会は前述の「野宿生活者一時宿泊施設の設置促進を求める要望書」の提出に中心的役割を果たした組織だ。「具体的には、例えば、匂いを発したりとか、酒を飲んだりとか、喧嘩をしたりとか、いろんな意味であるいは、万引きしたりとか、いろんなこう、数限りない、イメージだけじゃなくてね、具体的な被害も含めて、そういうことがあったわけなんですよ」。ワイシャツにカフスボタンを止めた壮年の男性。事務局のプロパーとして商店街のために働いてきた。それだけに大津氏はホームレスに関する問題を真剣な懸案として受け止めてきた一人でもあるだろう。「例えば、試供品を食べに来たりとか。ホームレスだから、食うなとも言えないでしょ。被害届って浮かぶかもしれないのですが、キリがないのですよ。で、届けたからと言って、解決される問題でもない」。
同連合会は、「川崎市野宿生活者対策市民協議会」に参加してきた。市民協議会は、町内会の会長、商工会議所、民生委員、社会福祉協議会、地域代表町内会の連合会やNPOなどが集まり、ホームレスに関する政策について話し合う一種の諮問機関。
その中での議論を振り返りながら、大津氏は言う。「ホームレスを庇護する団体も中にはあって、人権を持ち出して、行政は保護して自立させる義務があるということを言ったり、あるいは、『解決』しようとすることは=排除しようというように受け止められがちだった」。市民協議会での議論は難航していたことをうかがわせる。
「商業者としては、商業振興にね、影響が出たりイメージ含めてね、マイナスな面が出ているから、それをなんとかクリアしたい」と考えながらも、「一方的に排除するのもちょっと、やりすぎかなって後ろめたさもあ」った。一つの落としどころになったのが、ワンナイトシェルター。緊急一時宿泊施設の建設だった。しかし、建設先の地元、川崎区堤根地域の住民も、市長、商業者と同様に「少し、困る」ことには変わらず、住民は施策の「再検討」を掲げて、猛反発。
2003年11月、川崎中央商店街連合会と関係団体は前述の「野宿生活者一時宿泊施設の設置促進を求める要望書」を市に提出した。「市に対するエールを送ろうということでした」。大津氏は説明する。
文面を見てみよう。川崎駅周辺の「環境美化対策」は、「まちづくり」を促進する意味で川崎市が当面直面する最重要課題と位置づけ、いずれにも増して、ホームレス問題の解決が急がれていることをまず指摘している。その上で、「周辺住民の十分な理解・協力を得るには至らず、地域住民の一部には不満・不安が高まる状況にあると聞き及んでいます」と地元の反発を懸念しながら、「本施設の設置が遅延した場合、川崎駅周辺のホームレス対策は暗礁に乗り上げることが必至であり、更に万一、最終的に実現困難ともなれば、政令指定都市の玄関口とも言える川崎駅周辺の環境美化推進に大きな支障をきたし、商店街の売上げ、川崎地域経済の活性化に大きな影響を及ぼしかねないことが危惧されるところであります」とした。
結局、地元は最終的には施設の受け入れに合意した。そして、現在では、一時宿泊施設「愛生寮」は運営を行っている。開所は5月10日、それから、一週間後が駅構内の寝泊まり禁止措置だった。禁止措置以後、駅のコインロッカーの上部には、荷物が置けぬよう斜めの傾斜がつけられた。床には、所々、赤いカラーコーンが置かれ、寝泊まり禁止を促す注意書きが貼られた。
禁止措置後の駅を商業者はどう見ているのか。そう問いかけると、答える大津氏の声が一オクターブ上がった。「駅ビルのホームレスが0になった。大変な効果ですよね。よくやっているなあ。大変な成果だなとみんな喜んでますね」。
大津氏が事務局長として、立場上、誠実に商業者の利益について考えてきたのはよく分かる。また、彼はNPOのボランティアが行っている夜間の野宿者見回りも参加したこともあり、野宿者に対する理解もあるだろう。
独自にホームレスに対する対応はしてこなかったんでしょうか、と聞いてみると「対症療法的になってしまい、抜本的な解決とはほど遠いでしょうから」と答えが返ってきた。行政による力を借りた方がうまくいくということは理解できる。
しかし、「保障」を求める商業者。それに応える行政。そして、その関係に組み込まれることのないホームレスは「支障」になるという消極的な定義しか与えられていない。
住民の怒り
「保障」を求める力は誰にでもあるわけではないが、新たに獲得されることもある。それを成功させた人々が一時宿泊施設の建設に対する反発運動を行っていた地元住民達だ。
川崎駅から南西へ歩いて10分ほどの距離にある、堤根・日進町・下並木。それぞれ隣接しあった地域に反発運動を展開した住民達は住んでいる。駅東口を出て、京浜急行本線と平行に右方向へ歩を進めれば、JRの線路と直角に交わるように伸びている市電通りにぶつかる。市電通りを渡り、郵便局を左手に見ながら進めば、もうそこはホームレス緊急一時宿泊所「愛生寮」へと至る道路だ。愛生寮はさらに進んでJR横浜方面行き列車が通る一つ目の踏切の前にある。反発していた住民はこの近辺に住む者達だ。とりわけ、市電通りの郵便局と京浜急行本線の先にある八丁畷駅、それと愛生寮前の踏切の三点を結んだ内側のことを堤根地域と呼び、そこの住民達が反発運動を展開していた。
「よくぞ、この問題に目をつけてくれた!」。川崎市内で鍼灸院の院長を務める西井一馬「堤根・日進町・下並木地域住民の会」代表代行と向かい合う。院の待合室に現れた彼は、ざっくばらんな口調、恰幅のいい体格、藍色の作務衣という出で立ち。胸元には金色のネックレスが光っていた。
住民の会の前身は「川崎ホームレス自立支援事業の再検討を求める会」で、前述の反発運動を行っていた住民のグループだ。2004年1月〜2月を中心に大きく報道された川崎市川崎区の堤根地域で引き起こった、ホームレス緊急一時宿泊施設「愛生寮」の建設を巡る行政と住民の争い。西井氏は住民側の中心的存在で行政との直接交渉に当たってきた。
西井氏は、こちらが質問する間もなく説明を始めた。「そもそも、この話は不透明な話だったの。他の地域で起こっている反対運動とはちょっと異質なものだったと考えて頂かないといけない」。
堤根・日進町・下並木の町内会には既すでに、ゴミ処理場を初めとして、福祉センター、警察署、授産所、低所得者用の簡易宿泊街、民間の生活保護者受け入れ施設、そして、川崎市が支援する民間の野宿者用の自立支援施設がある。
「これだけ、迷惑施設がある地域も珍しいでしょ。全国にも例がないらしいですよ。これだけ集約して迷惑施設がある地域に、こういうものを作るならまず、最初に前ふりがあってもいいじゃないかっていうことだよね」。
行政からの前ふりはあるにはあった。2003年7月29日。施設が完成する9か月前、第一回の住民説明会が開かれた。説明会の告知ビラが配られたのは主に建設地の周囲20メートルに居を構える住民。もともと、堤根は人の少ない地域でもある。建設地の近隣は工場などの会社施設が並び、堤根の人口自体は143人に過ぎない。したがって、説明会に参加する住民も少なく、行政からすれば都合が良い部分はあるだろう。
実は、施設はその一年前に川崎区内の富士見公園近辺に建設される話があったが、近隣住民の反対に合い、建設が難しくなった経緯がある。施設の設置が遅れている行政にはおそらく焦りがあったはずだ。その時、行政は「指定道路があるから安心です」と住民に説明したらしい。指定道路とは、施設に出入りする際、利用者が通らねばならない道のことだ。他の道路からの入所は認められない。
西井氏はそこを問題視した。建設地の周囲20メートルの住民だけでなく「指定道路」の周りの住民にも説明するべきだと。
「ふざけんな、と。ホームレスはここを歩いて入りなさいという指定道路。指定道路があるのなら、その周りにも知らせるべきじゃないか。僕がそのことに気が付いたので、質問したら、『いや、施設の周囲だけでいい』。あなた達はここを歩けって言ってんだろ、ホームレスの人権も考えないで。その方がおかしいんじゃないか」。行政は反発を回避するために「指定道路」を設置したという印象は否めず、西井氏はそこを逆手に取った。ただ、行政関係者に寄ると、住民の側から施設に出入りするための「シャトルバス」を運行するよう提案があり、その代替案として「指定道路」を提案したという経緯があるという。それぞれの発言からはせめぎ合いように自組織の主張を貫こうとする様子が垣間見える。
西井氏達は、ビラを説明会に参加しなかった住民達に撒いて状況を知らせ、出席を求めた。「その時は反対運動でもなんでもなくて、この辺の部分をキッチリさせて欲しいということ」だったというが、「嫌だ」と思う気持ちがなかったわけではないだろう。少なくとも、突然であれば、驚きはするはずでその延長線上に反発してもおかしくはない。そして、説明が道理に合わない部分もあった。そういうことなのだろうか。
反対運動?
西井氏は行政批判を続ける。1ヶ月後、9月1日4回目の住民説明会。「行政は『明日からの行政の市議会の補正予算案に提出させてもらいます。もう時間ですから』って出ていってしまった。結局、紋切り型だよね。もうみんな、ふざけんなって話になってしまって、だって何も聞いてくれないんだもんね。残った連中、頭来ちゃって」。反対署名を3日間で2512筆、集めた。9月11日には、979筆の追加署名を提出。合計3491筆。この時点では、「反対」の署名を集めたということだ。しかし、後に意見を翻す。「我々は10月6日の時に一つ転換点を持ちました。『再検討を求める会』を結成したのです。反対運動ばかりが誇張されてしまったんですね」。だから、「反対」しているわけではなく、「再検討」を求めているに過ぎないという主張を前面に出した。「(行政との直接交渉など)裏側では、いろんな迷惑施設があったところだから、キチンと説明さえしてくれれば受け入れますよって話はしてたんですけど」。
西井氏は自信に満ちた表情で淀みなく話を続ける。恐らくリーダーたる人間が備えているべき一つの才能なのだろうと思う。与えられた条件の中で、いかに有利にことを運ぶことができるか。冷徹に判断しながら縦横無尽に論を進めることができなければならない。そう、だから、リーダーになれる人とそうでない人がいるのだとふと思う。
「住民会」とその要求
再検討は求める会は、施設予定地に隣接するバネのメーカーSPGフコク社長伊達満氏が代表、日進町でマンションを経営する鈴木慎二郎氏と堤根在住の西井一馬氏が代表代行を勤め、その下に世話人会がある。その中心的メンバーが約10名で、その他に約30名が名を連ねている。さらに、その下に会員がいるという構成だ。合計で300名と少しを超える位だという。また、世話人会は、施設に近い所に居住する「一番懸念している」面々が名を連ねているということだ。
住民の要求は、1、ここになった経緯を知らせて欲しい。2、他の場所を検討したという返事があったのだけれど、その資料を見せて欲しい。3、他の候補地が駄目になった理由を聞かせて欲しい。また、そういった話に関係する会議の議事録を見せて欲しいということ。「だけども、出てこない。結局、ここに建設することに決まったって言うことなら、健康福祉局の中で決定するに至った会議があるはずなんだけど、ないって言うんだよ」。
ホームレスに対する忌避なのか?
行政の説明が不明瞭なのはその通りだ。しかし、住民は反対しているのか、再検討を求めているのか。それとも、違う意図があるのか。極めてわかりにくい。西井氏の声がドスを効かせたように低く沈み込む。「再検討という名前を付ける時、大きく揉めました。反対運動にしようって人がいて、でも、ガンとはねつけました。反対運動にすれば我々は火だるまになるって」。反対したいという気持ちは本音でもある。それを傍証するように、同じく代表代行を努める鈴木慎一郎氏は「結局、ホームレスを忌避しているだけなんじゃないですか?」という質問に対して、低所得者用の簡易宿泊所の宿泊者達が行うという「迷惑行為」を念頭に置きながら、「これ以上、増えるのは困る」と答えている。
行政への猜疑心
加えて、鈴木氏は、どうせ駅前の環境を「きれい」にしたいだけだろうと市当局に対する猜疑心を覗かせた。
ホームレス緊急一時宿泊施設の建設は、都市間競争に打ち勝つことを目指す中で引き起こっている都市の変化に連動していた。しかし、その変化が、いわゆる、「市民」のためなのか、たしかに疑問はある。都市間競争に関して、社会学者町村敬志氏はこう述べている。「都市間競争という発想は、『共通の敵』や『危機』といった語りを介して、本来存在しないはずの共通利害や擬似的な一体感を反射的に作り出していく。言うまでもないことだが、都市や地域はそれ自体が互いに競争しあうことは決してない。また一般の市民が互いに競争しあっているわけでもない。競争の現場に立ち会っているのは、グローバルな市場との連接を通じて都市・地域の成長維持を図り、あわせて自己利害の達成をめざす政治経済的な主体達に、あくまでも限られる。ところが、競争というレトリックの強調は、それとはまったく無関係なはずの多くの市民まで、都市を舞台にした動員のプロセスへと巻き込んでいくことに道を開く」(「世界都市からグローバルシティへ」梶田孝道・宮島喬編『国際社会1国際化する日本社会』東京大学出版会 P121−122)。
住民達は、施設の建設のプロセスに強く反発していたのだが、それと同時に「動員」のプロセスの中に組み込まれることに拒否感を持ったのではないだろうか。都市による市民への「支配」の強制とそれに対する抵抗。
いや、それだけではないかもしれない。個人個人、違う思惑を持っていることだろう。やはり、彼らの心境を簡単に規定することはできない。
迷惑行為の中のホームレス観
西井氏はホームレスの「迷惑行為」に関して、こう述べる。「もともと、年中徘徊してんだから、住民はかなり理解者が多いの。ホームレスなんて屁でもないの。年中うちの前でしょんべんしてるし、うんこしてるし、女の子見つけちゃ、追っかけ回したり、卑猥な言葉を投げかけて通りすがったり、おちんちん出して歩いたり、日常茶飯事に見てるわけ」とした上で様々な迷惑施設があることに気が付いていなかった比較的新しく住民になった人々についてこう言う。「新しくマンションに移ってらしたような方は、愛生寮の建設に対してかなり強く抵抗するよね。
あまりにも自然に協調していたから、我々(旧住民)と彼ら(ホームレス)がぶつかる場面なんてなかったし。あまりにも自然に流れていたから、そういう所のマンションを買われた方々も気が付いてなかった。今回の騒ぎになってみんなびっくりしちゃったわけ。これは大変な所にいるんだ。そこにもう一つ来るんだって話になって、大騒ぎになった」。
しかし、古くから住んでいた主に堤根地域の住民達に「理解者」が多いというのは言い過ぎかもしれない。というのも、西井氏の説明によれば、第一回の説明会に出席し、「大変なことになる」と感じ、周囲にビラを配っているのも彼らだ。決してホームレスを受容しているわけではないだろう。
また、堤根地域の住民が近所で見慣れているのは正確に言えばホームレスではない。恐らく地域住民が見てきた大部分は「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊街に住む、主に生活保護受給者と呼ばれる人々、その中でも一握りの人の行動だろう。しかし、西井氏は彼らのこともホームレスと呼ぶことがある。状況を把握しているはずの西井氏でさえも、ドヤ街とホームレスを同じものとして言葉にする。逆に言えば、簡易宿泊街で目に付く「迷惑行動」が彼らのホームレス観を規定しているということなのかもしれない。私も簡易宿泊街を行き来する中で、おしっこを引っかける人を幾度となく見たし、路上でズボンと下着を降ろしている人も目撃した。恐らくは、住民にとっての基本的な迷惑的な行動、神経を逆撫でし続けた行動というのはそうした種の行動だろう。
ちなみに、この地域にある主な公園は三つしかなく、ホームレスが住める場所は限られている。他の公園や駅前、河川敷に比べれば数は少ないだろう。また、筆者が歩いた2004年9月の段階では2桁もホームレスはいなかった。
普通の住民は区別できない
しかし、そんな人ばかりではない。迷惑行為をするホームレスがいれば、しないホームレスもいる。何故、極端に嫌がるのか。西井氏はこう解説する。「普通の住民の頭の中でそれらは区別できない、そりゃ、ホームレスの方々とふれあっていたり、ホームレスの動向、生活について知っている方だったらいいかもしれないけれど、普通に生活をするものたちが、目にするのは立ち小便だったりそういう物を目にする。目につくのはやんちゃなものが目に付く。で、おとなしくしている人達ってのは、一般の中に溶けこんでいるからわからない」。確かにそれも片一方の真実だろうとは思う。ちなみに、西井氏は経験上ホームレスと話す機会も多いのだという。
西井氏ら世話人会は総論賛成を謳うが、その組織の内部では賛否両論。恐らく個人個人、思惑も違うのだろう。嫌な物を良いと言い、迫り来る行政の施設建設を前に戦略的に立場を選択した西井氏ら。しかし、西井氏らは施設を受け入れざるを得ないと考えていた。だから、行政と反発する住民の橋渡し役を買って出ていたに過ぎないと彼は言う。「代表と代表代行の3人が直接的に行政と話合いをしたんだけど、実りある話がちっともなくて、それでどうしようかねえって。工事は始まりますよって脅かされたし。俺たちもサンドイッチになったわけ。変な返事持ってくると(再検討を求める会が開く)町会で叩かれるわけよ、お前ら、何やってんだ、って。だから、町内会終わったら、すぐ役所に電話してさ、なんで、俺が謝んなきゃ、いけねえんだよ。お前が来いよ。このやろう!って。そしたら、先生お願いしますって(笑)。もう出てこないよ。出てきたら、大変な騒ぎになっちゃうもん。だから、逆に良いよと、お前らが出てきてもロクなことになんねえから、ここで話した内容を俺らがもっていく。
もう、叩かれて、叩かれてねえ。苦しかった。あの何ヶ月間は泣き入ってたね。俺なんか、うちの親父にまで怒鳴られて。『西井、何やってんだ!俺も西井だけど』、なんて言われちゃって(笑)。大変ですよ」。
メディアの後押し
様々な思いがうずまく「再検討運動」。西井氏らの「再検討運動」が成果を上げたのは何故か。一つの理由はマスコミに運動が取り上げられたことだ。
「結果的には1月の4日。TBSの報道が入ったんですよ。これでね、一気に火がついたっていうかね。住民の中でも火がついたし、行政も我々を無視できなくなった。なんで、報道各社が引かなかったかというと、不明瞭な点が多すぎるから、プロセスが余りに不明瞭。だから、彼らも裏がないかと勘ぐった」。西井が勘ぐっていたのは、土地の地権者が市長と繋がりのある人物であるということ。また、不明瞭さを説明するかのようなこんな新聞記事も出ている。
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川崎市が設置を進める野宿者向け一時宿泊施設の問題で、同市が設置しようとしている川崎区堤根の工場跡地の土地や建物に複数の金融機関によって根抵当権が設定されていることが9日、毎日新聞の調べで分かった。
(「川崎の野宿生活者施設設置問題 土地、建物に根抵当権、設定認識し、契約」『毎日新聞』2004年2月10日朝刊神奈川版 )
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これも反発を誘発する材料になりえる。不明瞭にも映りかねないその関係は、住民にしてみれば、裏切りと感じられるかもしれない。火に油を注ぐような状況が堤根地域にはあった。
「2月15日に(健康福祉局内の施設建設における議事録の)開示請求を起こしているんですよ。そこでの返事がもっとすごかったですね。文書が存在しないって。1億6000万(初年度費用)の施設を議事録も取らないんだ。これはおかしいって、言って。新聞、テレビはやっぱり離れなくなっちゃった。だから、話しやすいっていうのはありました。いわゆる、再検討を求める会ってのは有象無象の集まりで、町内会だとか、キチンとした会則があるわけじゃないから。1月22日に市長会談をするっておかしいじゃないですか。相当、報道が効いてる」。マスコミで取り上げられるに連れて「再検討を作る会」は表舞台へと押し上げられ、影響力を獲得するに至った。それぞれが自分の主張をいかにねじこむのかを巡る争い。これはパワー・ゲームだ。
パワーの源泉
そのパワーの源泉は何か。
西井氏の淀みない声に耳を傾けていると、声は力だと強く思う。大きな声。それは影響力を獲得することに繋がる。
もっとも、声の影響力は大きさのみに由来するわけではないではないだろう。「威信」という言葉がある。威信とは資質、地位、職業、収入、財産、生活様式などに対して与えられた評価に基づく個人や集団におけるある能力のこと。そして、この能力は自己の望むように他者の行動を決定したり、自己の望まないように決定されることを拒否する力のことだ。主に他者の尊敬や信服といった感情的反応を基盤としており、他者に対する潜在的強制力になる。(参考:『社会学小辞典』有斐閣 1999年7月)
社会学者の宮島喬氏はこう書いている。「社会学者は『威信』(prestige)という資源の不均等配分が、階層あるいは地位集団を形成する一つの要素をなすことを指摘してきた。(中略)どの社会にも、言語の『正しい』発音や語法に固執する成員がいて、「方言」や「俗語」を忌みきらう。『威信階層』という観点に立つなら、これらの人々はその上位に位置づけられる人々にほかならない」(『文化と不平等』有斐閣 P16)。西井氏など代表代行、代表という立場の人は明らかに「威信階層」の高い人達だろう。他者に対する潜在的強制力、「威信」はまず、社会的地位に関係している。
また、話術の巧みさや態度などコミュニケーション技術も「威信」に関係している。そうだとすれば、中央商店街連合会やNPO法人・水曜パトロールの会も「威信」の高い人と考えられるかもしれない。
また、正当性が感じられる意見でなければ、「威信」は得られない。そう考えると、西井氏らが、初めから施設を受け入れようと言っていたのもうなずけてしまう部分がある。そうすることで「威信」を獲得し、「住民」の現実的な利益を考えたのか。
抗議行動から終局へ
力がなければ、「支配」と「保障」の関係に組み込まれることすらできない。声を上げられるものは、より多くの「保障」を求めて声を上げる。
1月20日には、行政は工事の強行着工に踏み切り、住民側は工事予定地で抗議行動を行った。厳寒の最中、工事予定地にやってくる業者と市役所員を実力で阻止しようと試みた。また、その時の様子はテレビ等で大きく報道された。住民側がまとめた資料からその日付と参加人数を見る。
1月19日 40名。
1月22日 市長と住民代表が会談。市長は「行政を甘く見ないで欲しい」と発言。
1月30日 住民5〜6人
2月3日 住民20名
2月4日 住民15名
2月7日 住民15名
2月10日 住民20名
「このまんま行くと、どっかで被害者出てくるじゃない。一番、心配していたのはそこなのよ。うちの親父は80からの人間がこれ(抗議行動)やってるわけ、朝の5時から寒い中からさ。で、マスクしてたらさ、顔隠してそんなことしてと、やり玉にあげられたりさ、ふきっさらしの所でお前、立ってみろって言いたくなるよ」。
2月28日、住民は名古屋にあるホームレス自立支援施設の見学に出かける。「反対」しているはずの住民が見学に行くというのはまれな例で、確かに住民が問題を真摯に考えていたこともうかがえる。「そこで、ホームレスの中でも実際にやんちゃしているのは30%くらいだってことに気が付いた。そこの施設長の方から7割くらいのホームレスは立ち直ろうとしているが仕事がない。意欲があっても仕事がないんだということを聞いた。
もしも、この施設に自立したい人間が入ってくれれば、本当に救いの一歩になるんじゃないか。だったら 我々が大人になって、ここに受け入れたらどうか、そういう話がそろそろ出てきた。だから、ここで代表ともう一人の代表代行のホームレスに対する意識が変わった」。
住民が出していた条件は、1施設の中に住民の代表を入れる、2社会福祉法人ではなく、施設の運営に市が責任を持つ、3地域のための安全・安心町作りに市が前向きになること。これに対して、市が承諾したという。
住民が得た「保障」
住民は、施設アドバイザーと呼ばれる住民代表を職員として雇うこと。施設を運営する協議会に住民が参加することの了承を取り付け、そして、「環境整備委員会」なる組織の認知を行政側に図る。「安全・安心の街作り」に寄与する委員会で、区が予算を付けて、町作りの専門家をアドバイザーとして委員会に入れた。「緊急」一時宿泊施設という性格上、5年をめどに取り壊しになる施設跡地の利用法について案を出す意向だ。
主な活動は問うと、「安全・安心街づくりに関することなら、なんでもやる」とのこと。
具体的には「例えば、防犯灯であったり、スーパー防犯灯の設置。あと、近くにある福祉センターの建て替えも老朽化が進んでいるので必要だな、と」。スーパー防犯灯とは、通常の照明機能の他に、警察に直結する監視カメラとテレビ電話、それにサイレンが搭載されたものだ。犯罪にあった場合、警察と連絡が取ることができる。また、「できたら、ドヤ(簡易宿泊街)全部撤去して、ビルにしたいんですよ。ビジネスホテル組合とか組合に入っていない人とか、まぜこぜになって簡易宿泊街が形成されているからから、ここを一気に開発するのは難しい。今まで、誰も言わなかったし、手をつけなかった。福祉センター建て替えるんだったら、そこに持っていくとか。話はけっこう積極的に出ています」。
今まで陽が当たらぬ場所だった堤根地域が開発されるチャンスかもしれない。西井氏の発言からは開発に対する並々ならぬ意気込みが読みとれてしまう。「西部町作りクラブってのがあるんですよ。10近くの町内会の連合があるんですけど、何故か、この堤根地域だけジャンプしてんだよ。日進町の町内会も入ってますよ。でも、大した活動はここではできない。(昔からのドヤ街があるなど)そういう特殊な地域だってことをみなさん知っているんですよ。そこに手を下すのは、我々整備委員会でやるしかない。一番、みんなが困っている所。でも手を下せない。そういうところでガンガン発言していく、行政にも突っかかっていくのは我々しかいない。非常に開発が遅れている地域でもあったので、それを含めてやらせて頂きたいと区長に申し上げたの」。
行政の認定を受けることで正統性を確保できた。どんな未来を思い描いているのか、彼らもまだ正確には把握していないはずだ。しかし、それを描くキャンバスを手に入れたことを快く思わないはずはない。何かが変わるかもしれない、と期待に胸を膨らましている。それは彼らの「声」がもたらした成果だろう。
差別からの旋回
「行政は環境整備委員会が出来たことで、愛生寮の施設の周りの環境が良くなったということを言いたい。そうすることで、モデルケースにしたい」。だったら、徹底的に利用してやろうと西井氏は言う。堤根とその周辺は、迷惑施設の集中的な受け入れを強いられ地域的差別を受けてきたと言っても良いだろう。その地区の発言力のない住民が、新しい施設の建設を機会にしたたかなまでに行政のアラを突き、ある種の政治力を確保するまでに至った。
もちろん、ねばり強い交渉の末に施設受け入れに至った苦労は評価されるべきだろうし、政治的争点に住民が前面に躍り出ることもまれで新しい政治の可能性を読みとることもできるだろうとは思う。そして、施設を受け入れたという結果は、やはり動かしがたく評価されるべきだと言うのもうなずける。
誰のための「保障」?
住民は行政との交渉の中から、施設運営の参加権を得た。そして、環境整備委員会という組織を作り、行政からの認知を受けた。権力との間で取り結ばれる、「支配」と「保障」の関係はここでも有効だ。その「保障」は当然、住民のためにある。
しかし、不思議な話がある。実は堤根とそれに隣接する日進町が合同で開く町内会は、第一回住民説明会が開催される以前に施設の受け入れを認めていたというのだ。これに対して「『住民』不在の決定だ」と西井氏は悪態をつく。しかし、それを許してきたのは地域住民であるという視点が西井氏にはなかった。これはミクロなレベルの民主主義の問題でもある。町内会と住民の会の反目は、今まで町内会レベルでどれだけ実質的な議論が成されていなかったかを物語る。
つまり、日進町町内会は少数意見をどう考慮してきたのかが問われる。日進町と堤根は合同で町内会を主宰しているが、堤根の人口はわずか143人、比べて日進町の人口は6705人だ。やはり問題の渦中の堤根は圧倒的に少数派だ。町内会では力を持たぬこと、もしくは無視されることを知っているからこそ、堤根住民を直接的な「再検討運動」に駆り立てたのだろうし、既存の町内会への猜疑心があるからこそ、それを乗り越えるような形で運動を展開した。つまり、既存の町内会は、住民会のメンバー達が望む「保障」を与えることができていなかった。ちなみに、住民会のメンバーは「住民」を主語に話をする場合が多い。自分達こそが地域住民を代表しているという自負があるのだろう。
しかし、一方で「地域住民の会」もどれだけ地域住民を代表しているのか測りがたいという意味では既存の町内会と変わりがない。下並木の人口は1434人 堤根の人口は143人、日進町は6705人(うち約1500名は簡易宿泊所・民間施設に寄宿する者である可能性が高い)。合計で8282人。それに対して、「下並木・堤根・日進町地域住民の会」の会員は三百余りだが、これまた同様少数派だ。施設近隣に関係者を限定したとしても、堤根地域の住民を二倍にした程度しか会員がいないことには「地域住民」の代表を名乗って良いものなのか、首を傾げざるを得ない。加えて施設が完成した後、住民の会は会員を半減させているという話もある。少数派が力を持つからこそ、下手をすれば「地域住民の会」がそうでない住民を無視してことを進めるということにも成りかねない。
また、「地域住民の会」は、施設を受け入れるという「苦渋の決断」を行った。中には被害者意識を抱いている者もいる。しかし、被害者意識は自己の主張を心理的に正当化する上で重要な役割を発揮する。今までの被害に見合うだけの対価を受けて当然とばかりに主張を展開する。怨みは力だ。しかし、度が過ぎれば、他者の意見を受け容れないような盲目的な心境になることも懸念される。
自分の要求を満たすために取り結ばれる支配と保障の関係の中で私達は、「他者」に目を向けることなどできるのだろうか。ホームレスはここでも消極的な位置づけだ。
三章 自省
誰だって、自分の利益を考えるのは当然だろうが、欲求を充足するための「保障」を求める相手は権力に対してだった。そして、自己の望むように他者の行動を決定できる能力「威信」は、一人一人不均等に配分されている。だから、影響力にも差が出る。しかし、そこにこそ、私達がホームレス問題と向き合えない理由のヒントがあるのではないか。
愛生寮
それを考える前に、愛生寮を見てみたい。
ノーネクタイに半袖のワイシャツという「省エネスタイル」に眼鏡を掛けたやや大柄な青年が、汗を拭きながら入ってきた。やさしそうな笑顔で声を掛けられる。「お待たせしました、山口です」。ホームレス一時宿泊施設「愛生寮」の事務所で川崎市健康福祉局健康福祉課の山口高弘氏に話を聞いた。
8月の終わりに作成されたばかりの川崎市ホームレス自立支援基本計画案について話を聞きながら、差別について話が及んだ。「黒人など出自ではなくその人が置かれている状況に関する差別が、ホームレスに対する差別ですから、僕は自立することが差別をなくす方法だと思って仕事しているつもりです」。市健康福祉局に4月から5名の枠で新設された役職、ホームレスの自立支援が担当だ。「いや、僕だって、嫌だなって思うことはありますよ。昨日、立ち小便しているホームレスを見て、これだから『善良』なホームレスが誤解されるんだって舌打ちしちゃいましたし」。山口氏は行政マンとしては若手の方だが、とつとつと誠実そうな語り口でまじめそうな人柄と仕事ぶりがしのばれた。
愛生寮を案内してもらう。事務所棟と宿泊棟と食事やテレビ鑑賞などを行うプレハブなどの建物で構成される。工場の跡地だったという性格上、資材の搬出を行うための駐車場だったであろう広い空間が敷地の真ん中に空いている。「ここが無駄なんで何かに利用できればと思っているのですが」と山口氏。周辺住民との交流事業も検討したいという。
食堂に入ると、まだ新しいペンキの匂いがした。角にテレビが置いてあり、その横のボードにメニューが貼ってある。「ライス280グラム、8月30日 朝 焼き魚、小鉢、漬け物、みそ汁」。
ふと壁に目をやると、美容室のカットモデルの募集チラシが貼ってあった。「キチンとした格好で行くこと、酔っぱらって行かないこと」。チラシにそう書いてあるのを見て山口は顔をしかめた。「本当はこういうの良いと思わないんですよね。プライドがある人が見たらどう思うだろうって」。
緊急一時宿泊施設という性格上、愛生寮に滞在できるのは夜6時から朝6時までの間に限られる。食事は朝食と昼の弁当が出る。「不満もありますよ。ご飯のことなんかもありますし、もっと自立支援策をやってくれ、というのもありますよ」と山口氏。
川崎市のホームレス支援は94年にさかのぼる。92年に警察官が駅構内に寝泊まりをするホームレスに熱湯を掛けるという事件が起き、それに抗議した人などを中心にホームレス自立支援団体「川崎水曜パトロールの会」が発足した。また、94年に起こった「公園追い出し」事件をきっかけに、行政は野宿者有志と水曜パトロールの会からの163項目に及ぶ要求を受け、その結果、パン券と呼ばれる金券を配布する制度、年末年始の宿所の提供、健康診断などが実施されるようになった。しかし、それらはあくまで「人道的」見地に基づいて「緊急」的に行われる施策として長年位置づけられていた。
2002年、国のホームレス自立支援法の制定を受けて、各自治体はようやく本格的な施策に取り組むよう動き出す。川崎市ホームレス自立支援実施計画案は、「緊急援護から生活づくり支援へ」と題され、ただ失業しているだけでなく、1居所を失い、2職を失い、3健康を害しつつ、4人間関係、社会関係を失いつつ、5意欲も減退し、6身だしなみにも無頓着となり、7人間としての尊厳維持が難しくなっているという特徴がある、という段階を想定し、初期支援(=生活づくり)を重視するとしている。愛生寮を第一弾として、滞在型の就労支援センターや大師公園や富士見公園など公園に滞在しているホームレスを対象に公園ホームレス対策型シェルターなどの設置を検討している。
また、愛生寮では利用者が協力して、運営に参加する「パートナー制度」を設けている。例えば、仕事のやり方などはパートナーが会議を開いて決めていくという方針をとっている。会議はボランティアが自立支援協力員としてサポートに当たる。そのボランティア団体、水曜パトロールの会の水嶋陽氏は会報「頭痛のたね」(2004年8月15日発行)にパートナー制度の意義について言及している。「お互いを配慮し、自分たちで悩み、決定し、担っていくことだ。結果ではなく途中経過そのものが目的といえる。例えば、ごみを拾う速度を競うことには意味がない。全く逆で、自分とは意見の違う人や、作業スピードの違う人とも一緒にできなければならない(中略)福祉事務所や病院に行くかどうか自分で悩むことに意味がある。パトロールでも愛生寮でも、野宿者への命令はもちろんのこと、結論の先取りも本人のためでなく『運動屋』の自己満足でしかない。緊急事態以外は、たとえ遅くなっても、本人が決定するまでのプロセス、費やした時間が貴重な経験だ。それは自分の何が問題なのか見つめることだ。その先に『自分と向き合うこと』さらに『問題との対峙や解決に向けて顔を上げること』がある」。
また、施設の方針を決定する運営協議会には、市職員、施設の職員の他に、地域住民、それに利用者自身もが参加する予定だという。こうした運営の仕方は全国でも珍しい。
宿泊棟の2段のパイプベッドの間を縫って歩いた。「ヨーロッパのユースホステルみたいですね」。山口氏が言う。空間的余裕はあまりないが、清潔な印象だ。夜は蒸し暑いのか、エアコンが設置されていた。もともとは工場だった建物で、広い空間にただベッドを置いたというような案配。ベッドはギッシリと詰まって配置されていて、プライバシーを確保するのは難しいだろう。窓は少なめかもしれない。夕方なので西日が入ってもよさそうだったが、思いの外、暗い印象を受けた。
愛生寮の敷地を覆う灰色のコンクリートの壁にはこんなチラシが貼ってある。「愛生寮開所に伴うホットライン設置のお知らせ 地域の皆様よりの、要望・苦情を受けるために下記のホットラインを設けますので御利用ください」。川崎市の担当課と愛生寮の電話番号が記されている。この施設が設置されている堤根と隣接する下並木・日進町の住民が反発運動を展開した際の交渉でホットラインの設置が決まったという。
さっきまでちょっと歩くだけで汗ばむようだった日差しがちょっと和らいできた。山口氏は、移動手段に使っている自転車を起こした。「指定道路」を歩いて、自転車を引く山口氏と一緒に駅に戻る。「僕が言うのも変ですけど、良くないと思うんですよ」、山口氏が言う。「指定道路」とは、利用者が施設に入る際、通らねばならない道のことだ。そして、利用者はチェックイン、チェックアウトをそれぞれ一時間の間に行わなくてはならないので、通行の時間帯も限定されている。もちろん、「ホームレス」でない人にとっては単なる公道だ。いつ通るのも勝手だ。しかし、「ホームレス」だけが他の道を通ってはいけないというのは何故なのか。
徒歩にして、10分ばかり。駅前まで山口氏と歩いた。そろそろ、ネオンが付き始める。街は相変わらずの人混みで溢れていた。
迷い
自転車をこぐ山口氏の後ろ姿を見送る。取材の中で、彼が見せてくれた「迷い」を思いだす。彼は正確に言えばホームレス問題のプロフェッショナルではない。市役所の職員は主にゼネラリストであることが求められる。彼も半年前までは別の仕事をしていた。「本当は僕なんかよりふさわしい人がいるんですよ」と彼は自嘲していた。そして、無力感も感じている。「10年後ですか?僕もホームレス問題が解決しているとは思いません」。その一方で、愛生寮の利用者について、とても生き生きとした表情で話しをする。彼らのことを思いながら、懸命に仕事をしていることもうかがえる。それでも、やはりその仕事、そのやり方が果たして正しいのだろうかと迷っている。
迷う言葉を聞いたのは久しぶりだった。そして、自分の中にある迷いを率直に語ろうとする態度に好感を持つ。潜在的な強制力、「威信」をその身にまとった人にはできないことだろうと思う。「迷いなく」行動し、発言することは、たしかに信頼感を醸し出す。しかし、重大な瑕疵もある。失敗を受け入れられなくなる可能性がある。失敗は信頼感や「威信」を低下させ、求心力の低下を招くから、目的が成就しにくくなる。だから、常に正しく「見え」なくてはならない。
恐らく、そうでなくても人間は自分が起こした失敗をなかなか直視できないという習性を持っている。だから、失敗に気が付いてもそれから目をそらしがち。それなら、常に失敗しているかもしれないという「恐れ」がそれぞれの胸の内に担保されているべきだ。
それは「責任」という概念に深く関係している。責任とは、「個人の自由意志によって行われた行為の結果に対して当人が負う意識」のこと(参考:小学館『日本百科全書』など)。つまり、「責任」は行為の結果に対して配慮することを要求している。目的を遂行する中で、引き起こった「結果」を真摯に捉える眼差しを持つためには、過ちを想定するための「恐れ」が必要だろう。
もう少し言うと、個人、集団にかかわらず、すべての決定は暫定的であるという認識が必要なのかもしれない。間違っているかもしれないという意識を頭の片隅に起きながら、行動したい。しかし、自組織の正当性を訴えざるを得ないパワー・ゲームの中からは、自省的な発想は出にくいのではないだろうか。
不安
自省的思考を妨げるのは何か。2004年9月3日、愛生寮の第7回施設運営協議会を傍聴した。
冒頭、大坪剛志川崎警察署生活安全第一課長が「地域防犯について」というテーマで講話を行った。その中で堤根の犯罪件数は7件、下並木は28件、日進町は173件と指摘して、昨年と比べて日進町は半減し、下並木は微増したことを付け加えた。声をかけあうことなどが防犯効果があるそう。また、川崎でもオレオレ詐欺が増えてきており、家族構成を事前に調べて電話するなど手が込んできたことや空き巣の防犯法などホームレスとは直接関係のない話題に終始した。
住民委員は少し気色ばんだようで、声色を高くし質問を始めた。「子供が声を掛けられるということが多い。駆けつけた時にはもういない。パトロールは増えたが、車で2、3周するだけ。酩酊している人がいても放っていく。抑止力のあるパトロール、実のあるパトロールをして頂きたい」。この発言から読みとれることは、住民は迷惑行為を治安問題と結びつけて捉えているということだ。大坪課長は答える。「事件にならないと。酔っぱらい同士の喧嘩は多いが数は上がってきていない」。住民委員は高い声で食い下がった。「ホットラインにも限界があるので(恐らく警察署と)リンクさせて欲しい。ただ通り過ぎるのではなく降りて注意するパトロールも一緒にやって頂きたい。声を掛けたり実のあるパトロールをして頂きたい。2、3人で寝てると声を掛けにくい」。時折、外からは踏切と列車の音が聞こえてくる。それをかき消すほどの大きな声。狭い室内に緊張した声が響き渡る。大坪課長の答えは「警察としてもどこかへ行けとは言えない」ということ、それから、メールによる双方向の防犯システムを考えていることを述べた。
次に、住民はスーパー防犯灯について言及。通常の防犯灯の照明機能に加えて、テレビ電話によって警察と直接会話ができ、監視カメラを付けたもので、住民からの要求により設置の検討がされていた。「我々が一番望んでいるのは抑止なんです。(スーパー防犯灯が)あることによって、(犯罪)が起きにくくなる。住民側として行政にお願いしている」。一種、異様ささえ感じられる絶叫調の声色。答える大坪課長の声も微妙に震える。「予算が問題。カメラはプライバシーの問題がある。全部クリアになって、モニターの設置場所、メンテナンスの問題、警察者は人的にないので、お断りしている。値段も高い。警察は賛成は賛成だが、人的には無理、付ければ終わりじゃない」。住民委員は興奮してまくしたて、「不安」を訴えたが、警察は型どおりに答えを返して去っていった。住民委員は落胆したのか、それとも怒りをたぎらしたのか。
ただ、一方でここで声を荒げることができるのはもしかしたら、ものすごく気持ちの良いことなのではないだろうかとも感じる。その日の議題は、他に市職員と施設職員が行っている巡回活動を停止しようとしていることについて、昼間にシャワー、洗濯のみの利用者を受け付ける「リフレッシュデイ」の登録者の範囲を広げることについてなど。住民委員は余りいい顔をしない。委員は市役所の担当者を論破すると、何をこの人は言ってるんだと言わんばかりに、満足気な笑いを浮かべた。ようやく発言力を獲得したことに対する満足の表れなのかもしれない。
協議会終了後、委員にインタビューを試みようとした。「すいません、ちょっと、よろしいですか」。しばらく無言が続く。委員は背を向けたままつぶやいた「よろしくありません。もう充分話しましたから。この前、新聞に名前が載っちまって。全く刺し殺されちまうよ」。何か薄暗い悲哀のようなものを感じさせた。
住民の会が自省的かどうか規定することはできない。しかし、私は、彼らの「不安」が自省的思考を阻害している予感を強く持った。
不安の所在はどこに
彼らの中で、ホームレスは迷惑ばかりでなく、犯罪を起こすかもしれない者として位置づけられている。
数日後、私は警察に取材を申し入れた。ホームレスを治安問題としてどう見ているのか、と。電話口で警察官はいらただしげに言った。「君ね、ホームレスだから犯罪を犯すって、それ差別じゃない」。全く、その通りだろう。返す言葉もない。
未だ導入が危険視されてもいる監視カメラの是非はここでは問わない。ただ、「抑止」という言葉を不思議に思うだけだ。
例えば、こんな人に出会った。堤根地域から少し離れたある公園。60過ぎの白髪のおじいさん、髪の毛が変な抜け方をしていたり、少し動作がぎこちない部分があった。話し方もゆっくりしている。その人は年金生活者、18で高校を卒業して以来定年まで働いた後に退職。この辺りにいるホームレスのことを聞いてみた。「あんまり、いないんじゃないか。少しはいるけど」。簡易宿泊街の人達は?「ああ、たくさんいるよ。偉そうな顔してるからすぐ分かる。でも、今は朝早いからあんまりいないよ。競輪に行くだろうから」。おじいさんはたばこをゆっくり吸った。「いやあ、最近のことは分かんねえよ、入院してたから」。どこか悪いんですか?「脳挫傷。頭殴られてね」。喧嘩したんですか?「いやあ、そうじゃねえ、駅前の飲み屋で飲んで酔っぱらって帰る所、殴られた。多分物盗りだ」。おじいさんは悪態をつく。「酔ってたから顔も覚えてねえ。多分、横浜の方からでも来たんだろう」。
「住民」が抱く不安は、「愛生寮」によってのみ引き起こされているのだろうか。最近、治安情勢の悪化が叫ばれている。しかし、どうして、それが「不安」に繋がるのかと言えば、いつ、どこで、だれに、何を、されるか分からないからだろう。「危険」なのか、「安全」なのか定まらないからこそ、「不安」になる。
「不安」問題として考えるとホームレス問題は断然、タチの良い問題だ。不安を引き起こす相手が特定できるからだ。だったら、解決策は一つだ。その相手が「危険」なのかを吟味することだろう。
人は無意識のうちにそれをしている。例えば、住民委員が愛生寮の人々を危険視しているわけではない。第8回施設運営協議会で住民委員はこんな発言をした。「愛生寮の人は(迷惑行為等)しないでしょ。ぶっちゃけて、簡宿(簡易宿泊所街)の人なんですよ」という認識もある。委員は強く反発の意思を持っていた人達だが、そういう変化はある。協議会等、ホームレス問題に関わり続けてきたからだろうか。だとすれば、ある種の偏見はそうした方法で解決していけるのかもしれない。また、一方、住民は、今まで行われ続けてきたという「迷惑行為」に対して、声掛けをするなどで注意をし、住民が自分達自身で問題を解決してきたことを示唆している。
解決の間接化
少なくとも、これからは愛生寮の設置と共に、自分で問題を調整しなくて済む「装置」は用意された。電話だ。その電話は役所と愛生寮に繋がる、ホットライン。自分が嫌だと思った行為を目にし、電話を掛ければ施設職員や市役所員が対処してくれる。
しかし、愛生寮利用者は基本的に、自立の意志があり、また、宿泊を続けるためにも問題を起こすわけにはいかない。「迷惑行為」はあるのか。愛生寮を取り囲む灰色の壁にはこう張り紙がしてあったことを思い出す。「愛生寮開所に伴うホットライン設置のお知らせ 地域の皆様よりの、要望・苦情を受けるために下記のホットラインを設けますので御利用ください」。
施設と住民との間のコミュニケーションは必要だろうが、「要望・苦情」のために設けられたホットラインは本来の役目を果たしているだろうか。現在までの所、通報があるとしても、愛生寮利用者以外の者による「迷惑行為」が圧倒的多数だろうし、お酒を飲んでいると言った「主観的」には迷惑と感じても、それが禁止されるべきなのか判断しきれない種のものもあるだろう。ホットラインは、主観的に感じた違和感をその吟味もなく他者に委ね、かつその解決まで他者に任せることができる。
電話を掛けるだけで、手を汚さずとも、問題解決。便利な道具ではある。
不安の延命
しかし、直接自分で手を下す必要ないということが、逆に「不安」を高める場合もある。理解が深まらないからだ。人は異質なもの、知らないものに不安を覚える。なら、異質なるものを理解しなくてはならない。他者をカテゴリーで分けるのでなく、一個人として認識していこうとする態度をとりたい。
個人で対応するなら、否応もなく相手の態度、印象を計りながら、個人として相手を認識せざるを得ない。しかし、他者に解決を求めれば、自分の理解は浅いままで、理解の不足は不安を延命させる。結果、安心は遠のいていく。他者への依存が、不安を助長させている。
そして、住民が解決のために努力を重ねてきたということなら、問題の「解決」のみを志向する「理解」だけでは、不安の解消には不十分だということになるだろう。その先にある「理解」が必要とされるのかもしれない。
住民とホームレスの幸せ、利害調整
ホームレス問題は、果たして単なる迷惑問題で済む問題なのだろうかといえば、答えはNOだ。「迷惑だから出て行け」という論法はゴミ処理施設には当てはまるかもしれないが、「ホームレス」には当てはまらない。まず、「迷惑」は排除する理由になるのか検討されなくてはいけない。そして、ホームレス全員が迷惑を行う意図をもっているわけではない。
当然だが、ホームレス=迷惑だなんて図式が完全に当てはまるはずがない。それぞれ、違った意志や考えを持つ個人なのだから、迷惑的な行為をする人もいれば、そうでない人もいる。日本人の中に凶悪犯罪者がいるからと言って、日本人全員が凶悪犯扱いされることの不当さを思えば、ホームレス=迷惑の愚かさが直ぐに分かるはずだ。また、ホームレス=迷惑という論法が、放火と見られる火事や、続いているホームレスに対する襲撃事件などに影響している部分も、当然考慮に入れなくてはならないはずだろう。
もちろん、それぞれがそれぞれに生活の幸せを追求しようとするのは当然だ。しかし、お互いの幸せにはそれぞれ価値がある。「住民」の幸せ、ホームレスの幸せ、どちらが重要かという問いは不可能だし馬鹿げているし、それを読み違える時、間違いを起こしがちだ。やはり、いかにお互いの利益を調整できるかが鍵だ。
話せない
しかし、こう書きながらそれは理想論に過ぎないという気もしている。理解することの難しさよ。例えば、愛生寮の利用者達もその困難に苦しんでいるだろう。利用者にも運営協議会への参加資格があることは指摘したが、実は利用者代表は9月まで会議に1回も出席していない。傍聴するものが数名いるだけに留まっている。実は、代表者が決められないようなのだ。利用者も同じホームレスだからといって千差万別だ。考え方も、経歴も、出身地も、年齢も何もかも違う。また、施設を利用する頻度も違えば、施設に対する思い入れも違う。簡単に代表となるような人物は選べない。
また、利用者達は、果たして議論に参加できるかと、不安を抱いてもいるようなのだ。発言するということはとても勇気のいることだろう。うまく話せるか分からない、そして、自分の言いたいことが伝わったとしてもそれが認められるか分からない。冷笑されるかもしれないし、嘲笑されるかもしれない。極めて不安だろう。そうだとすれば、彼らは自らの「威信」の欠乏を自覚してしまっているのか。
もちろん、個々人の声や話し方は個性であり、優劣はないはずだが、前述の社会学者、宮島喬氏はこう述べている。「測定可能なものへの置換の要求、これはまさに近代社会の衝動であるともいえるが、このなかで、人々の好み、ものの見方、感じ方、生き方、そして現実のライフスタイルも『能力』という連続的な量的要素におきかえられてきたのではなかろうか」(p24『文化と不平等』有斐閣)。私達は、どうしても人の個性に優劣をつけようとしてしまう。そして、劣っていると自覚した時、本人はそれにとても敏感になってしまうだろう。その優劣は影響力の差を生み、その影響力は行政の「保障」を呼び出すことができた。
案外、住民も施設の利用者もお互いに似た悩みを抱いているのかもしれない。愛生寮の施設運営協議会で発言する住民委員は、どこか嬉しそうに話しをしているようにも見えた。つまり、その喜びの顔は、今まで彼らの発言が受け入れられてこなかったという経緯を思わせる。
ならば、反対に相手の影響力「威信」に関係なく、言葉を聞こうとする態度が必要なってくる。
聞けない
しかし、発言ができるもの同士でも会話が成立しないこともある。例えば、地域住民の会の西井氏はNPO法人水曜パトロールの会に対して、こう言ったという。「彼らのやり方はやり方で良いと思うんだけど、我々の所に来て話しろって言ったことあるの。俺らは反対してるわけじゃねえんだぞって。話聞けよと。行政のやってることがおかしいんだ。お前達からもそれを言え。会長に直談判した。ホームレスのためになるような施設を作りましょうって。そうじゃないと納得できないだろって。そこんところは理解してくれって」。
西井氏個人は水曜パトロール会との協力を望んでいたということだろうが、お互いの関係の中に協力するための土壌があったかどうかは疑問が残る。と言うのも、地域住民で水曜パトロールの会のメンバーが施設建設の際の住民説明会に出席していたのだが、施設の設置に理解を求める発言をしたところ、かき消されるような怒号に見舞われたという証言もあった。
もちろん、愛生寮の運営に両者、参画しているわけだから、お互いに誤解を解こうと努力しているのだとは思う。
しかし、お互い反目している同士の声は耳に入らない場合もあるということだ。話すこと以上に聞くことは難しい。ここで求められるのは、自省的な思考だ。もしかしたら、自分に非があるかもしれないと、相手の言葉に耳を傾ける態度。特に影響力の強い者であればあるほど、それに気をつけなくてはならないはずだ。
固定化された社会観
当たり前だが、理解できないものは、理解しようとしても、なかなか理解できない。
取材の中で、立ち小便するのを見かけることはよくあった。やはり、はじめて見た時はかなりショックだった。夜間にするのなら分かる。物陰でするのも分かる。でも、白昼堂々、周囲の目を気にすることなく用を足している人がいることには驚いた。しかし、これは疑問をかきたてられるではないか。そうだ、「どうして、ここでおしっこしてらっしゃるのですか」と聞いてみようと思った。
ある日、簡易宿泊所街の近くを歩いていたら、自分のズボンと下着を降ろして道ばたで佇んでいる人を見かけた。ただ、佇んでいるだけなんて立ち小便よりも衝撃的ではないか。そうだ、この人に聞いてみよう。「何故、ここでズボンを降ろされたのですか」と質問しよう。ズボンを上げるタイミングを見計らって、その人の方向へと歩を進める。
しかし、何故か、足が勝手にその人を避けて動くではないか。どうしても近づけないのだ。そして、今見た光景を忘れようとしている自分に気がついた。まるで頭が真っ白に漂白されていくかのようだった。嫌悪感や羞恥心も特になかった。「見なかったようにしよう」と頭の中で誰かがささやいたような気がした。ただ、その人の風体、姿、形は頭から自然に消えていった。結局、質問できないまま。三回目の挑戦はまだできていない。
下半身を晒して道ばたで佇んでいる風景など見たことがなかった。自分の受け入れられない現実は、頭が反応しきれないのだろうか。解釈することすら出来ず、ただ消去しようとする。
「既知」はたしかに心地良い、そして、安心を与えてくれる。有り得ない、知らない、考えたこともない。そういった「未知」は認識しにくい。
しかし、個人の事情などお構いなしに、この先「未知」は増え続けるだろう。その変化の中で今まで、向き合う必要が無かったような人となんとかうまくやっていくしかないような機会も増えていくだろう。
ホームレスと私達の間にある断絶の原因は一つに、権力との間に結ばれる「保障」と「支配」の関係が上げられた。また、私達の「保障」を求める欲求とそれを成就させるために必要な「威信」の維持は、他者と向き合う際に必要な自省的思考を妨げていた。確かに、今、川崎では新しい試みが始まっている。しかし、それぞれが抱く不安や価値観の齟齬が断絶を延命させる可能性もある。
川崎の経験は、川崎に留まらず、今の日本社会に通底する問題だろうと私は思う。
終わりに代えて
パトロールを終えると、夜半を過ぎていた。駅のホームの明かりも落ちた頃だろう。男は終電を逃した私に、車で送ると、言ってくれた。
何故、ホームレスを支援する活動をしているのか。さっき聞いた時、男は照れ隠しをするように「なんでだろうなあ」と、とぼけてみせていた。
流れていくヘッドライトとテールライト。国道を照らすややオレンジがかった照明。その中を走り抜けていく男と私が乗る軽自動車。おあつらえ向きと言えばいいのか、車内ステレオからは中島みゆきの「時代」が流れていた。男の好みなのだろう。「今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ」中島みゆきはそう歌う。普段はベタベタした中島みゆきの声はあまり好きではない。しかし、そんな歌も素敵に響くときがある。その時がそうだった。
男も一人の旅人の話をしてくれた。
「広島で被爆したおじいちゃんが流れ着いて川崎に住んでいたことがあるんだけど、そのおじいちゃんは、台車に捕まりながら歩いて10分間に1メートル位しか歩けない人だった。一メートルだぞ。ほとんど歩けないんだ。それにその人ほとんど耳が聞こえなかったんだ。
で、面白いんだけど、当時、言語障害の元左官屋さんの野宿者がいて、僕らも彼とは全然話ができなかったんだけど、そのおじいちゃんだけはその左官屋さんの話が分かるんだ。それは多分、体全体で感じとっているということなんだと思う。僕らは声だけで聞いてたから分かんないんだと思うのね」。男は笑って言う。「本能。いや、俺はもともと、もっとロジカルな人間で、本当はそういうの嫌いだったのにさ」。男はハンドルを握り、じっと前を見ている。ずっと、遠くを見ているようだった。
恐らく、闇の中を這い回るような活動を男が続ける理由がこの話の中にある。そう私は直感していた。「野宿者問題って何だろう。よく、不況がどうとか言うけど、それは一部だ。それよりも、生きるための条件ってなんだろうってことに、この問題はつきると思う。
そのおじいちゃんの周りのホームレスがそのおじいちゃんの世話をしてやろうってことになった。俺は、着替えを手伝う、俺はラーメン煮てやる、俺は身体をふく。俺は台車を押す。役割分担勝手に決めて。で、そしたら、なんかそいつら仲良くなんのな。今までいがみあってばかりいたのにさ。
で、おじいちゃんはもう死にそうだから、入院を手配してたんだけど、おじいちゃんはなかなか行こうとしなかった。最後、救急車呼んで、連れていこうとしたんだけど、ホームレス達が救急車の周りを取り囲んだ。『行かないでくれ』って。結局、おじいちゃんは病院で死んだんだけど、看護婦さんは『ベッドで管をグルグル巻かれて動けないよりみんなのそばが良かったのでしょう』って言ってたな」。男は私に問いかける。「で、その後、どうなったと思う?」私は、さあ、と首をひねりながら、お墓でも作ったんですか、と味気ない答えを返す。
「また、喧嘩ばっかりになったんだ。おじいちゃんの遺骨を見たんだけど、腰から下はボロボロだった。あれじゃ、歩けるはずないよな。彼らはおじいちゃんを助けてたんだけど、多分、反対なんじゃないかなって気もする。誰かに必要とされているとか、誰か必要な人間がいるってことが、やっぱり(生きるための)条件になるんじゃないか」。
私は話を聞きながら返す言葉が見つからなかった。生と死をめぐる人間の姿が剥き出しになって立ち現れるその現場で、男はそれらを見届けてきた。多分、その活動は男にとっての支えであり、それなくして彼は生きられないのだろうと思う。
10年以上、ホームレス支援活動を続けている男にしてみれば、メディアなどで話題に上る「ホームレス問題」のとらえ方は片面的にしか思えない。「もっと真っ正面から問題を切り取った」記事が読みたいと男はつぶやいた。
恐らく、本稿を読んで「どうして、ホームレス問題を扱いながら、ホームレスが出てこないのか」と訝しく思う人もいるだろう。彼らの痛みに目を向けることなく、どうして文を連ねることかできるのかと。もちろん、逆の立場からの反論もあるだろう。「ホームレス達のせいで苦労を重ねてきた行政、商業者、地域住民達を軽んじ過ぎてはいないか」。彼らが抱く不安に鈍感でいて、どうしてこの問題に口を出せるのかと。
双方の痛みを理解すべく、筆者なりには気を使ったつもりではいる。しかし、違和感を抱く人がいないとは言い切れない。
ホームレス達の生と死。行政、商業者、地域住民の苦悩や不安を真っ正面から捉えるような作品。繰り返しになるが、本稿は真っ正面からそれを捉えるものではない。それぞれの立場から無理に距離をとり、「冷たい」書き方をしていると思う人もいるだろう。しかし、それでも、なお関係者に話を聞きに行き、こうして文章に仕上げたのは本稿で扱った川崎の一時宿泊所を巡る紛争は川崎だけに留まる問題ではないからだ。それはホームレス関係の問題のみに矮小化されるべきでもない。「外部」にいる、「関係のない」人ともなんとかうまくやっていかざるを得ない状況は今後、社会の至る所で起きるだろうと思う。そうであるなら、「外部」の実態を表すよりも、「内部」に目を向け、「向き合うこと」を阻害する要因を考えた方が建設的だと考えた。「外部」と言っても、「内部」と関係がないわけではない。本当は関係があるけれど、意識の上で「外部」と思えてしまう問題だ。どうして、私達はその関係があるはずの「外部」へと目を向けられないのか。この問題は今もっとも考えられるべき重要な問題の一つだと筆者は思う。
最後に、長い時間をかけて取材にご協力頂いた方々に感謝の言葉を述べたい。そして、幾度となく足を踏み入れた川崎市の皆様に感謝を述べたい。どうも、ありがとうございました。