『見ないを見る−−川崎市ホームレス緊急一時宿泊施設建設を巡る声と力−−』宮田清彦
終わりに代えて
パトロールを終えると、夜半を過ぎていた。駅のホームの明かりも落ちた頃だろう。男は終電を逃した私に、車で送ると、言ってくれた。
何故、ホームレスを支援する活動をしているのか。さっき聞いた時、男は照れ隠しをするように「なんでだろうなあ」と、とぼけてみせていた。
流れていくヘッドライトとテールライト。国道を照らすややオレンジがかった照明。その中を走り抜けていく男と私が乗る軽自動車。おあつらえ向きと言えばいいのか、車内ステレオからは中島みゆきの「時代」が流れていた。男の好みなのだろう。「今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ」中島みゆきはそう歌う。普段はベタベタした中島みゆきの声はあまり好きではない。しかし、そんな歌も素敵に響くときがある。その時がそうだった。
男も一人の旅人の話をしてくれた。
「広島で被爆したおじいちゃんが流れ着いて川崎に住んでいたことがあるんだけど、そのおじいちゃんは、台車に捕まりながら歩いて10分間に1メートル位しか歩けない人だった。一メートルだぞ。ほとんど歩けないんだ。それにその人ほとんど耳が聞こえなかったんだ。
で、面白いんだけど、当時、言語障害の元左官屋さんの野宿者がいて、僕らも彼とは全然話ができなかったんだけど、そのおじいちゃんだけはその左官屋さんの話が分かるんだ。それは多分、体全体で感じとっているということなんだと思う。僕らは声だけで聞いてたから分かんないんだと思うのね」。男は笑って言う。「本能。いや、俺はもともと、もっとロジカルな人間で、本当はそういうの嫌いだったのにさ」。男はハンドルを握り、じっと前を見ている。ずっと、遠くを見ているようだった。
恐らく、闇の中を這い回るような活動を男が続ける理由がこの話の中にある。そう私は直感していた。「野宿者問題って何だろう。よく、不況がどうとか言うけど、それは一部だ。それよりも、生きるための条件ってなんだろうってことに、この問題はつきると思う。
そのおじいちゃんの周りのホームレスがそのおじいちゃんの世話をしてやろうってことになった。俺は、着替えを手伝う、俺はラーメン煮てやる、俺は身体をふく。俺は台車を押す。役割分担勝手に決めて。で、そしたら、なんかそいつら仲良くなんのな。今までいがみあってばかりいたのにさ。
で、おじいちゃんはもう死にそうだから、入院を手配してたんだけど、おじいちゃんはなかなか行こうとしなかった。最後、救急車呼んで、連れていこうとしたんだけど、ホームレス達が救急車の周りを取り囲んだ。『行かないでくれ』って。結局、おじいちゃんは病院で死んだんだけど、看護婦さんは『ベッドで管をグルグル巻かれて動けないよりみんなのそばが良かったのでしょう』って言ってたな」。男は私に問いかける。「で、その後、どうなったと思う?」私は、さあ、と首をひねりながら、お墓でも作ったんですか、と味気ない答えを返す。
「また、喧嘩ばっかりになったんだ。おじいちゃんの遺骨を見たんだけど、腰から下はボロボロだった。あれじゃ、歩けるはずないよな。彼らはおじいちゃんを助けてたんだけど、多分、反対なんじゃないかなって気もする。誰かに必要とされているとか、誰か必要な人間がいるってことが、やっぱり(生きるための)条件になるんじゃないか」。
私は話を聞きながら返す言葉が見つからなかった。生と死をめぐる人間の姿が剥き出しになって立ち現れるその現場で、男はそれらを見届けてきた。多分、その活動は男にとっての支えであり、それなくして彼は生きられないのだろうと思う。
10年以上、ホームレス支援活動を続けている男にしてみれば、メディアなどで話題に上る「ホームレス問題」のとらえ方は片面的にしか思えない。「もっと真っ正面から問題を切り取った」記事が読みたいと男はつぶやいた。
恐らく、本稿を読んで「どうして、ホームレス問題を扱いながら、ホームレスが出てこないのか」と訝しく思う人もいるだろう。彼らの痛みに目を向けることなく、どうして文を連ねることかできるのかと。もちろん、逆の立場からの反論もあるだろう。「ホームレス達のせいで苦労を重ねてきた行政、商業者、地域住民達を軽んじ過ぎてはいないか」。彼らが抱く不安に鈍感でいて、どうしてこの問題に口を出せるのかと。
双方の痛みを理解すべく、筆者なりには気を使ったつもりではいる。しかし、違和感を抱く人がいないとは言い切れない。
ホームレス達の生と死。行政、商業者、地域住民の苦悩や不安を真っ正面から捉えるような作品。繰り返しになるが、本稿は真っ正面からそれを捉えるものではない。それぞれの立場から無理に距離をとり、「冷たい」書き方をしていると思う人もいるだろう。しかし、それでも、なお関係者に話を聞きに行き、こうして文章に仕上げたのは本稿で扱った川崎の一時宿泊所を巡る紛争は川崎だけに留まる問題ではないからだ。それはホームレス関係の問題のみに矮小化されるべきでもない。「外部」にいる、「関係のない」人ともなんとかうまくやっていかざるを得ない状況は今後、社会の至る所で起きるだろうと思う。そうであるなら、「外部」の実態を表すよりも、「内部」に目を向け、「向き合うこと」を阻害する要因を考えた方が建設的だと考えた。「外部」と言っても、「内部」と関係がないわけではない。本当は関係があるけれど、意識の上で「外部」と思えてしまう問題だ。どうして、私達はその関係があるはずの「外部」へと目を向けられないのか。この問題は今もっとも考えられるべき重要な問題の一つだと筆者は思う。
最後に、長い時間をかけて取材にご協力頂いた方々に感謝の言葉を述べたい。そして、幾度となく足を踏み入れた川崎市の皆様に感謝を述べたい。どうも、ありがとうございました。