『「死にがい」の現在』宮田清彦


11.「情」の弱さ
 戦時中の兵隊達が皆一様に「レディメイド」の死にがいを抱えて死んでいったと書いた。でも、実のところ、それは最終的にそうなったということに過ぎない。戦時に突入し、いつ何時、死ぬかもわからないと悟ってから、皆、それぞれ死について考えていたはずだ。だから、本当は答えも皆、それぞれ違うものになるはずだった。でも、みんな同じような答えに行き着いてしまった。それは、何故か。実はみんな思考が飛んでしまったのだ。みんながみんな、「レディメイド」の同じ方向に向かって飛んでしまう、そんな仕組みが「やさしさ」が担保する情の中にはある。
 唐木順三は1950年にこんなことを書いている。「『きけわだつみのこえ』に示される若い学徒兵たち、『平和の発見』に示される巣鴨のA級戦犯たちが、すなわち思想においては共通領域をもつことのむずかしい二つの世代が、死に臨んでほとんど同じような短歌をものしていること、親と子という二つの世代が、思想をうちあけ合うことによる理解なしに、直接無媒介な骨肉の情において結びついていること・・・すなわち、二つの世代は思想的に断層がありながら、感情的には直接的に結びついているのである。」(日本教養全集5 角川書店)
 ここで言う情とは、言語による媒介なしにお互いが理解できる共通心情のことであるが、情があるために、個々人の思想が煮詰まらず、ある時点で心情に寄っていてしまうという現象が当時あった。たとえば、それは学徒兵の手記「きけわだつみの声」の中にも見られるという。「上官の罪を黙って背負い、シンガポールの獄中で、三回も通読したという田辺博士の『哲学通論』の余白に実に立派な最期の文章をかきこんで、処刑されていった一学生は、死の前後、『をののきも悲しみもなし絞首台母の笑顔をいだきてゆかむ』という歌を書いている。・・・・・・
 生死を眼前に控えて、・・・・・・自己表現をせずにはいたたまれない青年の沸騰した心が、・・・・・・そぐわない十七文字や三十一文字をつづることによって思索の線をたちきり、自己をそこへ放棄してしまう」。手記は、高い教養を保持していたが故に、超国家主義に染まりきらなかった大学生たちの葛藤が記されているわけだけども、そんな彼らでさえ、思索を深めながら、それを止めてしまうという現象。その背景には、「親と子との間には思想上の溝があるということである。或いは、親の理解と認識の絶したことを子が考えているということ」がある。しかし、それでも、情のうちでは、親子は結びついている。だから、「親と子の溝も、言挙げせず、お互に別々の心を抱いたまま、それを超えた肉親の情で触れ合うというところへ無媒介にとびこえてしまっている」のである。死とはなにかと深く考えていきながら、しかしと、思考を区切り、紋切り型の「死にがい」へと寄っていってしまう。
 情は、共感を可能にするのだけども、理解を可能にするものではないのだ。そして、なまじ感情的には分かり合っているが故に、理解を阻害しさえする。

 集団思考性へのゆり戻しとして把握できる現代的「死にがい」の様相は、かくしてその情が持つ問題点を踏まえているだろうか。
 現代における「死」を通して透けて見えたのは、関係性維持の欲求だった。そして、関係性維持のために導入されているのが、「情」であり、それは言語による媒介なしに感情のレベルで繋がることを可能にする概念だ。
 そして、「情」は、多くの若者達が戦中「レディメイド」の死にがいを抱えて死んで行かざるを得なかった一つの原因を用意した。そのことからだけでも、井上が抱いていた全体主義再来の危惧は未だ有効で、確認しておくべきだろう。
 私はやはり、関係性の欲求が「死」という言葉を通じて語られることになんとなしに不安を感じている。情の取り持つ関係性が恐怖を和らげるわけだが、例えば、情が「効き過ぎたら」どうなるだろうか。死は急速に怖いものではなくなり、私達は死を恐れなくなる所まで行き着いてしまうかもしれない。極端過ぎると言われるとは思うが、「生のために死を語る」と言いながら、「死」の方向へ社会を引きずり込んでいきやしないか。
 だから、必要なのはバランス感覚だろう。一つ一つの言説をワンオブゼムにし、冷静に見据える態度。でも、現代の「死にがい」は関係性の維持を望む声と要約できてしまった。つまりは、多様性に乏しい言説なのだ。そこに、バランス感覚は感じられない。
 多分、それも「情」のせいだ。「情」がやっかいなのは、なまじ感情で分かり合えてしまうために、理解が阻まれることだ。そして、「情」には押し流す力がある。異論を許さない側面もある。とても不合理な考えでもある。
 だから、情だけでなしに、他の方法で関係性を担保できるかどうかが、問題になってくるのだけれど、そこに至る道筋はこの調査からは見えてこなかった。この調査が余りにも不十分だったから、そういう結果が出たということだったのなら、いいのにと、私は本気でそう思っている。


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