『「死にがい」の現在』宮田清彦


1、増える「死」と一人称

 下の数値は、実際に抽出された、年ごとの記事の量を示している。

死生の記事の量
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 まず、1990年と2004年を比べてみると17件の増加が見られ、90年代前半に比べて、2000年以降は多くの記事が流通していることがわかった。従って、「死にがい」に関係する情報量は以前に比べて増加しているという私の直感を裏付けるものとなった。
 さて、その増加の理由は明らかではないが、数値が最高値を示したのは1998年だった。この影響としてすぐに思いつくのは、1995年に発生した阪神大震災とオウム真理教地下鉄サリン事件である。しかし、1995年を見てみると、計測した14年間中で下から三番目である9件に留まっている。このことから、事件の影響は数年遅れる形で、やってくるということが言えるだろうか。
 また、今回採用した「死生」というキーワードにもそうした結果がもたらされる理由があるだろう。データベース上で「死生」というキーワードにもっとも反応しやすいのは「死生観」という言葉だった。その言葉は、どちらかと言えば、日常生活からは乖離しているかのような印象がある。具体的な事件、事故、災害などに直面している時期には、より抽象的な「死生観」には触れられないことが予想される。そうした予想が出来てしまうだけに、この調査にバイアスがかかっていることは否めない。
 内容的な特徴にも簡単に触れよう。90年代前半においては、「世紀末を読む 宗教と科学の接点を問う 西洋人と日本人の死生観 死の瞬間 銀河鉄道の夜をめぐって」(鶴見俊輔、河合隼雄、吉本隆明 潮 1990.5)など、知識人などによる死生観の分析の他に、「『尊厳死』『ホスピス』『臓器移植』いま問われる日本人の死生観」(『週刊時事』 1990年12月8日)や「『脳死鎖国ニッポンの悲劇』5・最終回 カトリック信者A・デーケン(上智大学教授)との対話『日本人の死生観が脳死・臓器移植の壁になっている』」(アルフォンス・デーケン/渡辺惇一 『週刊現代』 1991年5月25日)など、医療との関係で、死を語る形式が目立つ。意外なことに95年まで、老いとの関係で死に言及しているのは、「ヤングエグゼクティブの老いと死は? 昭和34年以降生まれの社会人、死生観調査」(『ACROSS』 1990年11月)、「臨終期 ※50年連れ添った妻を喪くして」(野口富士男 『新潮45』 1993年6月5日)「中高年も若者も『充実して生きる』ために考えよう よく老い 良く死ぬ人生設計」(アルフォンス・デーケン 山折哲雄 『現代』 1994年11月)、「『生き方』にこだわる 幸福な私の『死に方』 100歳以上の老人を撮り続けてたら100歳の死生観が見えた ※小野庄一写真集『百歳王』」(『自由時間』 1994年12月01日)など数本に留まっている。また、若年者層の死生観としては、94年には、SPA!が「SPA!世代とブルセラ世代との『死生観』」(1994年5月25日)と題する特集記事7件を掲載しているのが目を引く。
 95年以降の記事を見てみると、読者と死の距離が縮まったような印象を受ける。「クリスマスの夜 自分の死亡記事を書きませんか」(『ダ・ヴィンチ』 1996月1日)や「今日『あなた』が死ぬとしたら 生と死の基礎知識 もしも あなたが今日『死ぬ』としたら"ゆっくりしいや"にみる日本人の死生観」(芹沢俊介 『自由時間』 1996年5月16日)など、「誰か」の死ではなく、受け手自身が自らの死を考えるように志向された記事が登場する。いわば、一人称の「死」が90年代後半から語られるようになってきた。


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