『「死にがい」の現在』宮田清彦
3,恐怖の表れ
記事の中に見られる一番の大きな特徴は、「死を考えることは、生を考えるため」という認識だ。この考えをほとんど、全ての記事が前提にしている。
たとえば、「養老猛司さんと死を想い、生を愉しむ」(オブラ 2004.5)の特集の巻頭では編集部による口上が次ぎのように述べられている。
「そう、私達は意識的に死の話を避けてきたのかもしれません。
しかし、オブラでは、この話を皆さんとしてみたいのです。
死を想うことが、より生きることの大切さ、
愛おしさを実感することになると思うからです。」同じくオブラ誌の記事の中で、哲学者の梅原猛は「死を意識することで、生はより輝くのです」と、端的な形で、その認識を示している。
また、多少ニュアンスは違うが、週刊新潮の記事「これがアメリカ版『死の壁』という精神科医の処方箋『生きるための死に方』」(週刊新潮04.6.24)も、同じようなメッセージを伝えている。米国精神科医へのインタビューによって構成された記事の締めくくり結論部分には、「この本は、『死の壁』と併せて読むと、死に対する恐怖感が軽減し、これからの人生もより充実し、軽快に生きることができるのではないだろうか」とある。前者と多少異なるのは、死が恐怖であるという認識だろう。こうした認識は、実は前述のオブラ誌の中にも間接的に表現されていた。例えば、梅原は「人は、死んでいくとき、また生きていくとき何を拠り所にするでしょう。(中略)心の安らぎは、やはり精神の豊かさ、宗教的なものにあると思うのです」と、生き方、死に方を指南しているが、安らぎを必要とするのは、やはり、恐怖感があるからだろう。「生を考える」ために「死を考えている」側面はあるのかもしれないが、とにかく、死を問う記事の増加は死を恐怖する人々の増加を示しているように思われる。
一方、死が恐怖であるという認識は、若年者層には見られない。例えば、女性誌『an・an』(2004年2月28日)は「BOOKS著者 インタビュー 中山可穂『弱法師』 深く愛し尽くせば、行き着くところは・・・。能の死生観をモチーフに描く 叶わぬ恋のかたち。」で、恋愛小説の著者インタビューを掲載している。その中で、「(小説の各編の)タイトルはすべて能の名作から取ったもの。能をモチーフにしたのは、能が背景に持つ死の匂いに、究極の恋愛と通底するものを感じるからだ。愛と死は背中合わせのもので、愛し尽くしたら行き着く先は死しかない、と中山さんは言う」と指摘しながら、死を導入することにより、愛もまた輝くであろうことを示唆している。死に対して何かの期待を抱いているかのような語りぶりは、中高年層が死を恐れる姿とはだいぶ異なる。