『「死にがい」の現在』宮田清彦
4,自分らしい「死」
では、恐怖感を和らげるものとして提出されている方法は何か。梅原は「宗教的なもの」を上げているが、どういうものなのかはイマイチわかりかねる。ほかの記事も見てみよう。
ひとつには、「自分らしくある」ことがあげられる。週刊朝日の記事「ときめいて『最期』に向かうー死に方を選びとりたい人々-」(2004.7.9)は、「ピンシャン・コロリ」「ピンと健康にシャンとした精神で最期はコロリ」する会について報告している。会の事務局長を務める弁護士の藤森勝念は、「老いに病気はつきものですが、薬漬けとチューブに巻かれたままの延命治療を望まないお年寄りは多い。一生懸命に生きた人生なら死に方も選べていいのではないかと考えたのです」と述べ、自分らしく生きる途上で死んでいくために会を作ったと述べている。
また、自分らしく生きるということなら、もう少しラディカルにそれを貫いた人もいることを記事は報告している。文化功労者で洋画家の野見山暁治さんの母親は、88歳で亡くなったそうなのだが、自死に近い死に方をしたということだ。「私ね、死ぬことにしたの。花のきれいな5月がいい。このお金はそのときに使ってほしいの」とお金を渡され、しばらくすると一切の食事を断ち、逝ってしまったということらしい。何故彼女は死んだのか。野見山さんは「母の美学だと思う」「母は毎日お店に刺し身を注文するのに、ある日届かない。お店の従業員は届けたと言う。冷蔵庫を開けたら刺し身が入っていた。母は受け取ったことを失念してしまったんです。別の日、家の廊下にウンチが落ちていた。母は怒ったが、実は自分の不始末とわかり、引き時かなと決めたようです」。ここでは、自分の望む自己像を維持することの重要性が示唆され、維持が不可能になったとき、「潮時」として死が選び取られている。ここでは、死よりも自己を維持できぬことのほうが耐えられないという、そんな認識が垣間見える。死の恐怖をやわらげる一つの方法は、「自分らしさの維持」だ。