『透明な英雄』大隅亮

 第四部「水の調書」

 水底にしづく圓葉の青き藻を
 差し射る光のさやかに照らす
 窪田空穗 歌集「卓上の灯」(昭和二八年)

 長谷川市長はバイクで市内を走っていた。市長に当選してから、長谷川は生きた三島を観察するためにひとりバイクで通勤することにしていた。長谷川の政治の基盤になっているのはそれくらい市民が中心だったのだ。まだ四十にして立候補した長谷川がまさか市長になるとは誰も思っていなかった。市役所の職員のなかにはそんな青二才に対して、お前が当選したら課長を辞めるとまで馬鹿にしたものもいた。だからこそ自分に市政を任せてくれた市民は長谷川の生命だった。しかしここ数日は眠れない日が続いていた。昨晩も市役所の職員である大隅たちと麻雀を打ったとき、石油コンビナートのことが話題になった。
 はてどうしたものか。
 自分の支持基盤は市民である、がしかし三島市としては財源となる石油コンビナートはぜひとも誘致したいし、それが自分の使命であるような気もする。それに糸をひいているのは絶対の力をもった自民党であり資本家たちだ。三島市が万が一、石油コンビナートに反対を表明したときどのような制裁をされるかわからない。しかし中郷を中心に市民は日に日に反対の色を強めている。それは昨日も麻雀を打ちながら聞いたし、石油計画に反対しているという水道課の土田も呼び出して事情を話させた。というか怒鳴った。これはすごいことだ。三島市役所つまり体制側にも土田のように石油コンビナートに反対する人間がいるということは、言葉は悪いが支配される市民のなかにはもっと強い反対の風が吹いているはずだ。板挟み。そう支持基盤である市民と絶対的権力をもつ県からの両圧がのしかかる。
 ふと長谷川のあたまには反対派の市民と警官隊が闘争しているイメージがよぎった、三島の水に市民の血か流れていく!
 無事に市長室につくと長谷川は県側も手をこまねいているわけではないことを思いだした。市民が草の根的に情報を伝播しているのに対して県側は企業からの豊富な献金をつかってマス・コミュニケーションの手法で攻撃を仕掛けていた。まずは二月二十二日と三月三日に配布された「県民だより」がそれだ。それぞれ「公害の心配は全くない」「公害は全く考えられない」という見出しで市民への説得を試みた。また市民がなけなしの私費でバスを出していたのに対して県側はデラックス・バスを用意して四日市・水島への無料ツアーを企画した。そして酒宴では商品券や菓子折りを懐に接待をした。きわめつけには新聞がひと月三十五円、三島市の建材会社の初任給が一万六千円という時代に、百六十万という破格の予算を使って石油コンビナートを題材にした映画『未来を開く』を制作した。
 しかしそのほとんどが市民の反抗にあって骨抜きにされた。「県民だより」は町内会長の激昂により配布を許されない地域があった。商品券や菓子折りのことは草の根を伝って市民に暴露された。切り札だった映画も映画館の反対にあって上映されなかった。そう、県の攻撃は水にじわじわと沈んでいったのだ。

 三月二十六日。
 長谷川市長は市長室のブラインドを指で少しねじ上げると深いため息をついた。反対派の市民七百人がそこにはいた。ついに反対運動が沸点にたっし、市民は市役所前に大がかりなデモ行進をおこなったのだ。耕耘機に乗ってけたたましく音を立てながら集まった農家、白い前掛けをした数多くの主婦たち、「殺人鬼石油工業」という立て看板を持つ若者、「絶対反対」と書かれたムシロ旗を担ぐ老人、軽トラックの荷台に乗った無数の市民。熱狂。群舞。市役所前に押し寄せる人の波に長谷川は飲み込まれそうになった。これらすべての人びとをこれから説得することを考えると気が重くなった。九九パーセントの反対率を誇る中郷の農家の名簿、およそ四万の人口のうち三万二千人もの書名、全世帯で八割を越える反対の声。これらの数字を前に自分は何をどう言えばいいのか。群衆の前に立ちマイクを握った長谷川は、市民の期待に溺れそうになりながら懸命に弁解を試みた。それは二つの強大な圧力に切迫されたひとりの政治家の決死の綱渡りだった。というのも一歩間違えば市民が暴動することも考えられたからだ。もしかれらの血が流れればその姿がテレビに映し出され、全国の紙面を飾るだろう。住民運動で血が流れたときマスコミは一気に反対勢力を叩きに来る。そして自分は更迭だ。にたにた笑う斉藤知事の顔が浮かんだ。なあ長谷川くん、暴力はいけないよ。長谷川はマイクを握る手に力をこめた。
 その日はなんとか市民を刺激することなく集会を解散させることができた。が、三月二十六日の洛陽はさいごの審判が近づいていることを長谷川に嫌というほど知らせていた。

 四月一日、黒川調査団が発足した。これは県の説得をまったく聞かない三島市民に対して築かれたさいごの砦で、厚生大臣と通産大臣の指令で東京大学の黒川真武教授を中心とした公害調査団が結成された。国家と学会の権力をもって市民を黙らせようとしたのだ。ところでその相手が農家のあのおしゃべりな女たちであることを大臣たちは知らなかったのだろうか。国家権力による恣意的な調査結果を突きつけられたとき、市長としては公害を盾に石油計画を断ることができなくなる、そう考えた長谷川は黒川調査団に対抗するべく四月六日、市民調査団を発足させた。松村調査団という。国と県が調査団を結成するのにいったいいくつの判子を押し、厚生省と通産省と静岡県庁のあいだを何往復したかを想像して苦笑すれば、このわずか五日間での公害調査団の結成は鮮やかなタクトさばきだと評していいだろう、そしてそれを受けた松村清二博士ら国立遺伝学研究所の研究員と、沼津工業高校の四人の教員たちの調査も驚異の素早さで市内を駆け巡った。研究者特有の反骨精神をもった国立遺伝学研究所は以前から市民に対して警告を発していた。石油コンビナートは危険だということを幾度となく学習会で強調してきたし、市長にも勧告を行ってきた。松村団長はよくこんな言葉で講演を締めくくった。われわれ研究所は移転すれば良いが、みなさんはずっとそこに暮らさなくてはならない。
 西岡教諭は協力を申し出た沼津工業高校の教え子たち三百名を集めて、五月上旬の連休中に鯉のぼりを観察するようにいった。集まった資料をもとに朝六時から夜八時までの鯉のぼりの向きを地図の上に書き込んだ。こうして三島地区広域の気流地図が完成した。予算はなくとも機材はなくとも、このようなアナログな手法で工場ができた場合の亜硫酸ガスの行方を弾きだした。また鯉のぼりという煙突にきわめてちかい空気層の流れを明らかにすることで、煙突は高いところにあるから公害問題はないとする企業側の主張をくつがえす結果を得ることに成功した。無数に立てられた鯉のぼりたちは水の都を泳ぐ魚は水中に限らないことを主張していたのかもしれない。
 また別の班は牛乳ビンを狩野川に放流して水流を調査した。この結果は工場の汚水がいかに漁に影響を与えるかを明らかにした。五月の鯉のぼりの下を悠々と泳ぐ百本の牛乳ビンもまた、ほかのどの牛乳ビンとはちがって水の都のそれだった。鯉のぼりと牛乳ビンを陽気な女房たちが話題にしないはずがない。その研究の結果は悠々と市内を泳ぎ回った。
 虚像と思われていた水の都は実在した。

 脅迫電話や脅迫状に屈せず科学者の良心を貫いた松村調査団はのちに、公害の恐れは充分にあるという研究結果を発表し「高校生のレポートの採点ならともかく、これだけの広い専門分野にまたがる問題の採点がどうして工業高校の理科の先生程度で正しく行ない得るでありましょうか」という県会議員のせせら笑いを受けながらも市民の信頼を得ることに成功した。逆に二千万円という巨額の研究資金と高名な学者を投じた黒川調査団の研究結果は読売新聞、朝日新聞、毎日新聞の紙面への進出には成功したものの市民の信頼は得られることができず松村調査団との討論会での屈辱を受けることになる。高校生の採点をしている教員からの質問に東大の教授が満足に答えられなかったのだ。このエピソードも三島の井戸端会議にさんざん出汁にされることとなるのだがそれはまだ先の話、八月一日以降のことである。


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