ぼくは火星人なのだけど、そんなことはどうだっていい。とある事情--と言っても恋人と別れて火星に居づらくなっただけなのだけど--で半年前に地球に遊びにきた。たまたま着陸したところが日本の編集プロダクションだったというだけで特に他意はなかった。本当だよ、まったくの偶然からぼくは日本の出版業界の観察をはじめたんだ。
--以下本編--
「火星人の見た出版」
序 章 人間には言語がある
第一章 火星人の見た出版
第二章 地球を救うコンテンツ主義
第三章 電子書籍との全面戦争は近いのか
序 章 人間には言語がある
今、僕は語ろうと思う。(…)弁解するつもりはない。少なくともここに語られていることは現在の僕におけるベストだ。付け加えることは何もない。それでも僕はこんな風にも考えている。うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。--村上春樹『風の歌を聴け』
ぼくは火星人なのだけど、そんなことはどうだっていい。とある事情--と言っても恋人と別れて火星に居づらくなっただけなのだけど--で半年前に地球に遊びにきた。たまたま着陸したところが日本の編集プロダクションだったというだけで特に他意はなかった。本当だよ、まったくの偶然からぼくは日本の出版業界の観察をはじめたんだ。
ところで地球人の特徴について地球のみなさんはどうお考えだろう。何があなたたちを他の惑星の住民たちと隔てているのか。なかなかご自身では気づきにくいだろうから教えてあげよう。それは言語活動だ。「鳥に羽があるように人間には言語がある」ってわけ。ごめん、実はこの文句は受け売りの言葉なんだ。一緒に宇宙船に乗ってやって来た火星人が教えてくれた。そいつはえらく賢いやつでノーム・チョムスキー君っていうんだけど、彼は日本ではなくてアメリカに着陸して政治とかメディアとかテロ戦争について観察をしていたよ。そのへんの経緯については彼の書いた報告書『メディア・コントロール-正義なき民主主義と国際社会』(2003年・集英社新書)に詳しく描かれているから気になったら読んでみてね。おっと、話がそれてしまった。確認しておくと地球人にとって言語というものは非常に大切なものなんだ。そいつを絶対に忘れてはいけない。
いま日本の出版業界はちょっと危ない状況にある。これが何を意味するかもう分かってもらえたと思う。「言論活動が危ない」ということに他ならないんだ。なにインターネットがあるって- 馬鹿を言っちゃいけない。インターネットと書籍はまったくの別物だ。この話はおいおいしていこう。広い意味では中国で羊皮紙が発明されてから、狭い意味では西暦1445年ごろにドイツでグーテンベルクが活版印刷機を発明してからというもの、ずっと本は言論活動の中心にあった。そしていまでもそれは続いている。じゃなかったら自由主義の国で「再販売価格維持制度」なんてものがあるわけないじゃない。
ここでちょっと退屈かもしれないけど火星人向けに説明させてほしい。再販売価格維持制度(通称、再販制度)というのは端的に言って定価のことだ。日本では他のどんなものも自由な価格で売っているのに、出版物だけが定価で販売されている。これにはぼくも驚いたね。地球で暮らすにあたって家具はドン・キホーテで、服は正月のバーゲンセールで安く買いたたいたのに、本だけはちっとも値引きしてくれなかった。本屋がポイント制度をやることだって禁止されてるんだぜ。でもどうして本だけが特別扱いされているのか公正取引委員会さんに聞いてみた。
「一国の文化の普及など文化水準の維持を図っていく上で不可欠な多種類の書籍等が同一の価格で全国的に広範に普及される体制を維持するため、例外的に再販を認めるものである。」(1991年「政府規制等と競争政策に関する研究会報告」173p)
ちょっと難しいから簡単に説明するね。まず一つめの意味が、ある本がたくさん売れる都会では1000円で、あまり売れない田舎では2000円などという状況になったら、田舎の人は本を買わなくなって頭が悪くなっちゃう状況を防ぐということ。そして二つめの意味が多様な文化を認めるということ。二つめは自由価格制度を敷いている他の国と比べるとすごく分かりやすい。たとえばアメリカというと多様な人種がいて、自由市場のイメージから出版点数も多いような気がするけど、とんでもない。人口は日本の二倍なのに出版点数は日本とほとんど変わらないか日本の方が多いくらいなんだ(アメリカは1980年代から2000年にかけて平均6万点を推移している。日本はここ数年ずっと増加傾向で現在はアメリカより多い)。
ところで出版って、みなさんが想像しているよりもずっとずっと小さな市場なんだ。全国に4500社もあると言われている出版社の売り上げをみんな足してもKDDIやキヤノンの単独売り上げと同じくらいにしかならないんだな。具体的には2.3兆円程度ね。これを知ってぼくは本当に驚いた。講談社も小学館も集英社も岩波書店もお兄さんもお姉さんもお隣さんもぜーんぶ足しても他の一つの会社と同じくらいしか売り上げがないなんて。ちょっと信じがたいな。
それとたまに出版をマス・メディアと思っている地球人がいるけど、なにを見ている! 本は100万部売れたら大ベストセラーとして国民栄誉賞的な扱いを受けているけど、テレビの視聴率に換算したらたったの0.75%だぜ。下の数字を見たら気絶しちゃうんじゃないかな。
1 2月6日 義経(NHK総合)26.9%
2 2月5日 ごくせん(日本テレビ)25.4%
3 2月6日 笑点(日本テレビ)24.2%
4 2月6日 ニュース・気象情報
(NHK総合)22.5%
5 2月6日 行列のできる法律相談所(日本テレビ)21.3%
どう、気絶しなかった- とにかく出版っていうのはとても小さなメディアなんだ。ところでこの1分間、出版について悪い話ばかりしてしまった。気を悪くしてしまったなら謝るね。でもこれだけは断言できる。ぼくは出版が心の底から大好きなんだ。けれど、恋の盲目に負けてはいけない。好きなこととひいき目で見ることは別のことだ。出版のことを本当に想うなら、よりいっそう冷静な目で見て、ラディカルに考えないといけないとぼくは思う。
ちょっとばたばたしてきてしまったけど、もう一度話を本線に戻そう。とても小さな市場である出版を国が例外を定めてまでも守ろうとする理由、それは出版が言論においてとても大切だからだ。出版が崩壊してしまったら、すごい損失になることを地球の人たちにはもっと自覚してほしい。だからぼくはこのルポルタージュで、いま出版業界がどのような状態にあるのかを書いていく。そのあとで火星人なりの感想なり今後役に立ちそうな方針なりを示してみようと思う。そんなわけでこれは火星人に向けて書かれた報告書であると同時に、地球人--とりわけ出版業界の人たち--に向けた警鐘でもあるんだ。
そしてこのルポルタージュは火星人によって書かれたことがとても意義深いはずだ。正直な話、地球に到着したときのぼくはまったくの無知だった。多くの大学生が社会について知らないようにぼくも真っ白な状態だった。でもそこんとこがポイントなんだ。地球人というものはそれぞれの立場を背負って暮らしている。たとえば編集者さんには編集者さんの、ライターさんにはライターさんの「出版」がある。それらは多かれ少なかれ着色されてしまっているんだ。極端な話、独りよがりといってもいいかもしれない。中立な視点で全体を見ることができる人間なんて、その人の生活を負っている以上あり得ないと思う。
もうひとつの強みはぼくが本だけでなく他のメディアとも仲が良かったこと。ぼくは火星のジャーナリストコースに通っている(まあ、前期課題を出さなかったりなんなりで、胸を張って「通っている」なんて言えたもんじゃないけど)。そこでさまざまなメディアについて考える機会を得た。これはちょっとした強みなんじゃないかな。出版業界だけじゃなくて他の業界もそうなんだけど、普通はみんな自分の扱うメディアのことしか考えていない。だって出版に一生懸命になることが美徳(というか会社での評価)なのだから。出版社に入って教えられるのは編集だったり営業だったり取次の仕組みだったりで、ブログの設置方法だったり映像メディアの編集なんかは教えてくれない。この中でブログをいじれる人がどれだけいるだろうか。電子書籍を実際に使ってみた人は- ビデオクリップを作った人は- でもそれって若い人の仕事なんだと思う。新しい技術が出てきたときにリスクなんて考えずに飛び込んでみる無謀さ。それは若い脳みそにしか宿らない。サルの場合もそうらしいよ、年を取ると脳みそは保守化するんだって。確かにそうだよね、出版社に入ったら出版を極めるのが仕事だ。
ところでこのことを強く意識したのは2004年12月8日に嶌村忍さんという共同印刷の人に会ったのがきっかけだ。この人はすごく広い視点でぼくに話をしてくれた。ブログも電子書籍もコンビニもクラブも、いろいろと出版に結びつけて考えていることがわかって、ぼくは衝撃を受けた。なぜ出版業界にあってあらゆるメディアの話を持ち出せたかというと、広告代理店に出向していたことが確実に影響しているはずだ。これにはぼくも広い視点を持たないといけないと痛感したよ。
以上のふたつの理由から、このルポルタージュは「深くはないけど冷静な視点」を獲得しているはずだ。バランスと言い換えても良い。だからちょっとだけ立ち止まってこの火星人のルポルタージュに耳を貸してほしい。
第一章 火星人の見た出版
明るい未来ってなんだっけ---Mr.Children「Everybody goes」
まず出版についてごく単純なところから話をはじめよう。出版社(1)というのは本をつくる会社のことだ。たまに編集プロダクション(2)というところに編集を外注をする。編集者さん(3)が著者(4)に原稿を書いてもらうことで本はできあがる。ノリスケさんがイササカ先生の原稿を待つシーンをぼくは地球で何度か目撃している。できあがった本を全国に届けるのが取次(5)という会社の役目だ。取次さんは過去のデータや経験から出版社のつくった本がどれくらい売れるか予測して、どれくらいを本屋さん(6)に送るか決める。でもって書店の良い位置に本を置いてもらうように出版社の営業さんは書店をまわったり、FAXを送ったりする。そして書店を訪れて本を買う人のことを読者(7)という。本当は「買う人」と「読む人」は違うんだけど通常は同じ意味で考えられているね。
さてそれぞれの領域ではどのようなことが起きているのだろうか。これから順にみていくね。この章は自分で言うのもなんだけど退屈だ。でも第二章のどんでん返しのための準備だと思ってこの火星人の仕打ちに耐えてほしい。
(1)出版社の現状は「自転車操業」だ。日本語を知らない火星人のために解説しておくと、自転車のように軽々と風を切って操業していることではない。この言葉は「援助交際」と同じで、悪い意味内容を希薄化してしまっている。実際には「ネガティブ・スパイラル」、どんどん悪い方向に向かっていることを表す言葉だ。
なんと、本を作れば簡単にお金が手に入る。たとえば出版社が取次に2000円の本を5000部入れたとする。取り次ぎ仕入れ正味とよばれる卸率が70%の場合、700万円の売り上げになる。ここで面白いのが売れた数だけお金が入るのではなくて、印刷した分だけお金が入るってこと。しかし地球はそんなに甘い世界じゃない。平均返品率が40%という現在では700万は「虚」の金なのだ。返品されてきた本の代金を取次に支払うための現金が必要になる。仮に40%が返本されたら280万円だ。
ここでお金があればいいけど、不況の今、なかなかキャッシュで支払うわけにはいかない。お金をつくるために、また新しい本を出さなくてはならなくなる。「返本の前に新しい本を出す」ことが習慣になり出版点数が増えていく。これが自転車操業というやつだ。ああ恐ろしい。
取次出身で出版業界に詳しい山本隆樹さんに、今後の出版社の動向を伺ったところ「後三年で出版不況も止まる」のではないかと前置きした上で、「現在の4500社から半減して2000社程度になる」可能性もあると指摘した。また東京大学出版会の竹中英俊編集局長も同様に、2000社になるのではないかと指摘した。この一致は偶然ではないだろう。出版に携わる人間の実感として2000社という数字は現実味を帯びたものなのだ。どこそこが危ないという噂話がどこに行ってもささやかれている状態、これが出版社の現状なんだ。
(2)編集プロダクションは基本的には出版社の下請けだ。だから出版社が苦しくなると必然的に経営が悪化する。これは構造上の問題だ。ところでぼくが大学生のふりをしてインターンしていたのも天才工場(http://tensaikojo.com)という編集プロダクションだ。ここは基本的にすべての編集作業を外注する特殊な仕組みを採用している。今風に言えばアウトソーシング。ここにいて一番困っているのはライターさんやデザイナーさんだということが実感できた。昔に比べて仕事の単価が安くなっているという話はよく聞いたし、出版社の不払いも目にしたことがある。不景気のあおりが下へ下へとしわ寄せされていって、実際にものをつくる人たちが締め付けられているのは間違っているよ。編集者、ライター、デザイナー、イラストレーターなんて言ったら子どものなりたい職業の花形なんだろうけど、実際はとても厳しい状況にあるんだ。
(3)出版社の「自転車」に乗せられた編集者は、とにかく本を作れとノルマを課される。たとえば「今年中に5冊つくることがノルマだ」と。そのような状態で著者への高品質のサービスが保てるはずがない。ある出版社の編集者も「今年中に出版点数を稼ぎたいからこの企画を採用する」というようなことを言っていた。
ところで編集者とはどのような職業か考えたとき、出版点数が増えることの意味がどれほど大きいか想像することができる。この数字の推移をみてほしい。
「出版点数の推移」
1992年 42,257点
1993年 45,799点
1994年 48,824点
1995年 61,302点
1996年
63,054点
1997年 65,438点
1998年 65,513点
1999年 65,026点
2000年 67,522点
2001年 69,003点
2002年 72,055点
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2003年 74,259点(*)
2004年
75,530点(*)
社団法人日本書籍出版協会『出版営業入門』(2003年・同出版協会)より
(*)2003年・2004年は出版ニュース社「出版年鑑」による。前出の資料とは若干算出方法が異なるようなので接続はしない。
このようになんと十年間で1.7倍にもふくれあがっている。十年ぶりに開かれた同窓会で42kgだった体重が72kgになった友人を目撃した周りのリアクションを想像してほしい。そしてこれは断言できるのだが、この体重の増加は「幸せ太り」ではない。どちらかというと水太りに近い惨劇なのだ。出版点数の体重は増えたかもしれないけど、編集者の体重は確実に落ちているはず。なにせ(給料はそのままに)十年前の二倍近くの本を制作しなければならないんだ。編集者の仕事は「遊び」だとぼくは思っている。遊びと言っても夜の銀座でお金を使うことではなくて、社会への洞察や教養的な意味での「遊び」だ。たとえば新人の作家の文体がイギリスのだれだれに似ているだとかは幅広い読書経験のたまものだし、流行を見きわめるためには消費の前線に立っていないといけない。
編集を労働とみなすか遊びとみなすかは、プロダクトにも大きな影響を与えることだろう。歴史を振り返ってみると「暇」こそが文化を生み出してきたのだ。奴隷制のうえに古代ヨーロッパ文明はあり得たし、貴族がパトロンとなったからこそ古典音楽は完成された。遊び心がないプロダクトに消費者は魅力を感じないと思うよ。
(4)著者にとって出版点数が増えたことは執筆機会が増えることを意味するだろう。けれど全体の売り上げはむしろ下がっているのだから印税収入は減っている。もし最近の出版物の質が落ちたという噂が本当なら、これが原因となっているのかもしれない。イササカ先生も悠長にカツオ君と将棋を指している場合ではない。次から次に書かないと収入は減っていくのだ。
(5)取次についての愚痴を言う人は本当に多い。取次のせいで出版はだめになったとさえ言われることもままある。しかし取次は工夫がしにくい分野なんだ。基本的にすることは「配本」だ。コンテンツの出版社や小売りの書店には工夫するところが多く存在するけれど、インフラ産業の場合やるべきことは合理化くらいなもの。
そして最大の問題は会社の大きさ。JR御茶ノ水駅を出てすぐに、大きなビルがそびえ立つ。それが業界大手の取次、日本出版販売の本社だ。あそこの社食の寿司は美味しいんだよねえ、ってそうじゃなくて、とても大きな会社なのだ。物流の合理化を進めた結果として、城のように大きな取次が出現し、その大きさ故に身動きがとれなくなる。残念ながら動く城はハウルのものくらいで、現実に動いた城はありません。
実はこの「大きさ」は出版社でも同じことが言える。本のように多種類の品物を少数売る商売では、大手ほど現状のシステムを変えにくい。たとえばMP3プレーヤーなんかは少ない品物を大量に売っている例のひとつ。そこと比べてみよう。アップル社は業界で圧倒的なシェアを誇っているけれど、実際のところ細かいバージョンはあるにせよ、iPodとiPod
mini とiPod PhotoとiPod
Shuffleしか出していない。こういう商売の仕方だと柔軟に変更に対応できる。もし消費税が5%から7%に引き上げられたとしよう。アップル社はたった4つの商品のバーコードを変更すれば対応できるけど、講談社は数千点という本の表紙を付け替えて、POSのデータを差し替えて……、なんて天文学的な面倒を強いられる。だから出版社は、特に大手は、なかなか面舵をきることができないんだ。おそらく本の多様性が出版業界を保守的にしてしまっているのだとぼくは思うな。
(6)書店の不幸は出版点数の増加からもたらされていそうだ。最も被害を被っているのは小さな書店、おじさんとおばさんが経営しているような書店。とにかく出版点数だけは毎年増え続けている。しかし書店の面積は増えはしない。これが不幸を招いた。
たとえば昔は総体で100の本が出版され、ある小さな書店では50の本を取り扱っていたとする。売れ筋の50を仕入れているこの書店に行けば、消費者はだいたい目当ての本に巡り会えていた。しかし毎年出版点数が増え、出版の総体が200になったとしよう。この場合でもその書店に置ける本は50のままだから、50/200となってしまう。消費者はその書店に行っても目当ての本が見つけられないことが増えていく。このような経験が積み重なって、消費者は徐々に郊外の大型書店に足を運ぶようになる。もしくはインターネットで注文するようになる。簡略化すると以上の道をたどって小さな書店は消えていくのだ。山本隆樹氏によれば「現在書店は18300店舗あるが、15000店になる日も近い」という。さようなら3300人の店長。
(7)読者の現状はこうだ。出版点数が増えたことは選べる本が増えたことを意味しているように思えるけど、実際はそうじゃない。だって週に1400冊、月に6000冊の本が出てきたところでそのすべてを読めるわけじゃないでしょ。このくらい大量に商品が出てくると消費者--あなたのことだ--は何かの賞に輝いたり特別なキャンペーンがされてマスコミに露出した本を買うようになる。必然的に。ほらあなたが記憶している本と言ったら大手広告代理店が大々的に広告した『世界の中心で、愛を叫ぶ』とか『Good
Luck』くらいなものなはず。著者で言ったら最近は綿矢りさくらいしか、あなたのあたまにはインストールされてこなかったはずだ。
本当はもっとたくさん本が出ていて、たくさんの著者が存在しているのに、地球人が知りうる本や著者は他の地球人に意図されたものだけなんだ。これがジャーナリズムにとってどれくらい危険か考えてほしい。大手広告代理店が「これ」と決めた本の論調が、または大手出版社が「これ」と決めた著者の思想が、読者に有無をいわさずなだれ込んでくる。あなたたちはよく、ぼくのような宇宙人にさらわれて「洗脳された!」なんて騒ぐけど本当は知らないうちに世にも恐ろしい見えない怪物に踊らされているんだぜ。
これまで読んでくれて本当にありがとう。いま出版界で何が起きているか分かってもらえたと思う。これでやっと役者がそろった。さあここからが真の幕開けだぞ。
第二章 地球を救うコンテンツ主義
小さなモモにできたこと、それは他でもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話をきくなんて、だれにだってできるじゃないかって。/でもそれは間違いです。ほんとうに聞くことのできる人はめったにいないものです。そしてこの点でモモは、それこそほかには例のないすばらしい才能をもっていたのです。--ミヒャエル・エンデ『モモ』
突然だけどあなたが出版社の社長になったとして、この出版不況のなか、次の三つのうちのどれを会社のスローガンに掲げるだろうか。
(a)鳴かぬなら殺してしまえホトトギス
(b)鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス
(c)鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス
これは戦国時代の三人の強者のスタンスを表した句らしいのだけど、地球はいま資本主義社会という時代に突入している。(a)を選ぶことは出版事業からの撤退を意味している。本が売れないのなら、いっそのこと売るのをやめるという姿勢だ。しかしそんなことをしたら社員はどうなってしまう。雇用責務はどうなる。この選択肢を選ぶことができるのは水星人のカルロス・ゴーン君ぐらいなもので、地球人には選びにくいところだ。(c)を選んだあなたはたぶん、次の株主総会で辞任させられるだろう。経営努力を見せないと株主たちは満足しない。資本主義は競争なのだ。というわけでおそらく(b)の選択肢しか残されていないかと思う。
では、どうやって鳴かせるか、実際に聞いてみた。
(1)2004年10月26日、競馬関係の書籍につよい東邦出版の保川敏克社長を訪ねた。池袋にあるコンクリートとガラスのクールなオフィスにぼくは故郷を思い出さずにはいられなかった。
--どうしたら、売れる本ができますか-
「いまの出版社はまだマーケティングが足りない。もっと読者を見るべきだ」
--マーケティングとはどういうことを言うのですか-
「魚のいるところにエサのついた釣り糸を垂らすこと」
--なるほど。具体的にはどうするのですか-
「たとえば他の出版社のどの本がどれくらい売れているか調べたりね」
(2)2004年11月8日、書籍だけではなく映像メディアにも通じているリュウホン・ビーイーの山本隆樹氏に聞いてみた。
--なんで本が売れないのでしょうか。
「編集者、著者がマーケティングできてないからだ。それができない人間はいらない」
--これから出版業界はどうなってしまうのでしょうか。
「柔らかい本、堅い本に二極化していく。また取次に頼らない出版社が生き残るだろう」
(3)2004年12月2日、出版社、書店の勉強会である出版ビジネススクールに火星人として唯一参加した。このとき講演していたのは日本経済新聞社の中町英樹氏。
「いま出版不況を迎えている一つの原因が編集と営業の分離です。この垣根をなくすことで編集者は営業からどんな本が市場で求められているか分かるようになり売れる本ができるようになります」と彼は言う。
また同日配られた冊子にはこのように書いてある。「編集優位のプロダクトアウト方式からの脱皮」「セールス重視からマーケティング重視へ」。
(4)2005年2月4日、出版業界の盛衰に詳しい物語工房代表・安田京右氏の講義で配られたレジュメより抜粋。
「出版界にも導入したいマーケティングと、固持したいアートとしての『文芸』」
そう、(1)-(4)から分かるようにキーワードは「マーケティング」なのだ。それはつまり読者をよく見るってこと。この人たちは出版界で指導者的な立場にいるので、その言葉には重みがある。これまで出したい本を出してきたツケがまわってきたのだから、もっと読者の要求に応える本をつくって、買ってもらおうとしている。そしておそらくこれは、正解だ。買い手にあわせた製品をつくることは理にかなっている。
さて、ここからは音量をMAXにして聞いてもらいたい。寝ている人がいたら起こしてあげて。「読者を見ること」、これは地球人的な正解ではあるけれど火星人的な正解ではない。あのときぼくは素直に、ああそうかマーケティングの時代だ、と思って頷いていたかもしれないけど今は違う。あなたたち地球人の常識を鮮やかに覆してみたい。さあ、ぼくはついに言う。マーケティングなんかしていると、どんどん深みにはまっていくぞ!
もし隠れた需要をダウジングのように掘り出せれば最高だけど、実際はそうじゃない。マーケティングという外来語の影では「真似っこ」が横行している。繰り返すけど、読者を見ることはミクロ的な意味では正解だ。「売れている本=読者がいる」の式は間違いない。余計な力は使わないで売れている本を模倣すれば簡単にそこそこ売れる本ができる。これは甘い蜜の味がする。
たとえば日本語ブームはどうだったか。東京大学大学院総合文化研究科教授、小森陽一氏の「日本語ブームとナショナリズム」(学会誌『日本語教育』116号)より引用してみる。
「21世紀の第一次日本語ブームが2001年秋からはじまり、ワールドカップの年である2002年までつづいた。その火付け役になったのは、1960年生まれの教育学者斎藤孝の『声に出して読みたい日本語』(2001年・草思社)で、2002年9月末段階で140万部を突破し、第二弾の『声に出して読みたい日本語2』(2002年・草思社)も、発売から一カ月で20万部を超える売れ行きで、二冊あわせて162万部に達していた。
底無しの出版不況のなかで、この販売部数は異常事態だといわざるをえない。「柳の下の泥鰌」を求めて、各社が一斉に日本語関連本を出版し、多くの書店で一番目立つところに「日本語本」コーナーが設けられ、斎藤孝の他の出版社からの本も含めて、20種類以上が平積みになっていた。」
これが現状なのだ。実際、Amazon.co.jpで「声」+「日本語」と検索すると本家の『声に出して読みたい日本語』以来、20冊以上の似た本が引っかかる。「声」というあからさまに真似たタイトルの本だけでこれだけあるのだから、コンセプトを似せた本は数えきれないほど出版されたことが予想できる。これが「読者を見る」ことなのだろうか。いくら泥鰌がいるからって、何十社も群がったらすぐに泥鰌は底をつきることは考えればわかるだろうに。
日本語ブームだけじゃない。『キッパリ!』が100万部を超えてからというもの、ぼくはたくさんの出版社で「キッパリが売れているので似たやつを出しましょう」という言葉を聞いてきた。
これがマーケティングの罠なのだと思う。ミクロの視点では読者のいるマーケットに向かって売れている本に似た本を放つことは正しい。しかしマクロの視点ではすぐに供給過多になってしまう。
こんなことは地球上では往々にして存在する。たとえばあなたが東京から大阪に行こうとする。手っ取り早く行くには新幹線がおすすめだ。個々人の視点ではそれが最良の選択だとする。でも、みんなが最良の選択をすると、結局全体としては最悪の選択を選ぶことになる。東京駅にみんなが押し寄せれば長蛇の列ができて、乗り切れなくなる。
その意味で「これは地球人的な正解ではあるけれど火星人的な正解ではない」と言ったのだ。ぼくたち火星人くらい地球を遠くから眺めて見れば、そのことに気づくことができるんだ。ことに出版は特殊な業界だ。それほど大きくない土俵の上に4500社が乗っかっている。みんなが読者のほうを向いたら、常に小さなパイの取り合いだ。
こんなふうにしてマーケティングを叫べば叫ぶほど、似たような本が出版されてゆく。出版点数の増加が獲得したのは多様性じゃなくって画一化だったんだ。ここでもういちどあの文章を思い出してほしい。
「一国の文化の普及など文化水準の維持を図っていく上で不可欠な多種類の書籍等が同一の価格で全国的に広範に普及される体制を維持するため、例外的に再販を認めるものである。」(1991年「政府規制等と競争政策に関する研究会報告」173頁)
自由主義社会でわざわざ再販制度を定めていたのは「文化水準の維持を図っていく上で不可欠な多種類の書籍等」のためだったはずだ。でもこのままじゃ思想の画一化は進んでいくし文化水準は低下していってしまうんだよ。地球人よ目を覚ませ。マーケティングなんていうグロテスクな怪物と付き合うのは今すぐやめろ!
じゃあ何が火星人的な正解かと言うと「著者を見ろ」ってこと。コンテンツ主義なんて呼んでもらってもかまわない。要するに魅力的な著者を探すことに尽きると思うんだ。これは読者を無視することじゃない。マーケティング主義の「読者にあう著者づくり」からコンテンツ主義の「著者が読者に歩み寄る」図式にシフトすることだ。
ぼくはNPO法人企画のたまご屋さんというところで出版プロデューサーをしている(まだまだ未熟だけどさ)。そこでは「著者の企画をブラッシュアップして、数百人の編集者にメールで配信する」ということを行っている。特に読者のことは意識せずに、全国から魅力的な著者を探しだすことに力を注いでいる。あるとき面白い企画が出てきた。ちょっと見てもらいたい。著者はクリエイティブ集団株式会社浪漫堂に所属している廣田修さん。
「本文では、ただひたすらに円周率を掲載しつづける。デザイン的な遊びとして、以下のようなアイデアが考えられる」
そのアイデアとは文明の歴史を円周率に乗せて解説したり、まるいものを載せたりすること。どうだろう。こころにぐっとくる何かをぼくは感じた。こんなぶっ飛んだ企画って、マーケティング的な手法では生まれないだろう。こんなふうにして魅力あるコンテンツを囲っていくことが地球人には必要なんじゃないだろうか。
もうひとつ例をあげると、英治出版という著者を向いている出版社がある。会社のホームページ(http://www.eijipress.co.jp/)には折り目正しく「経営目標」が掲げられている。「よいコンテンツをもつ個人、団体、法人がMy出版社を持てる出版環境を提供することで、出版によるセルフプロデュースを支援し、時代の文化創造に貢献する」というものだ。ああ、その言葉に酔ってしまう。
ここはブック・ファンドというインフラを提供している日本でも有数の出版社だ。ブック・ファンドは自費出版の一派と思われがちだが、それはちょっと読みが浅い。ブック・ファンドは、商法の匿名組合契約を利用してコンテンツに共感した出資者を募ることに特徴がある。そのコンテンツの編集・営業を英治出版に代行してもらうという図式を取る。だれでも魅力あるコンテンツを見つければ、出版社になれるのだ。もちろん理想論で終わっていない。山田真哉氏の『女子大生会計士の事件簿』のヒットなど結果を出し始めている。英治出版の原田英治社長には何度か会っているけど本当に頭の切れる人だ。
NPO法人・企画のたまご屋さんと英治出版を見てもらえればコンテンツ主義がどれだけ生き生きしているか分かってもらえると思う。「読者」という曖昧な存在に振り回されるよりも現実に存在するひとりの「著者」との出会いがどれほど素敵なことか。想像するだけでもとても優雅な気持ちになれる。
……実はそろそろ火星に戻らないといけない。その前にひとつ大切な話をしておきたい。ぼくはあるとき雑誌の創刊会議に参加させてもらった。中堅の出版社に分類されるだろう会社だ。そこでぼくが目にしたものは世にも醜い出版の世界だった。「とにかく内容よりもカネ」というあの態度。どこそこのライターはいくらだとか、デザインは初回なので安くしてもらいましょうとか、後半は適当な記事で埋めておいてだとか、聞いていて本当に腹が立った。もし出されたお茶を飲み干していなかったら、かけてやっていたことだろう(ああ残念だ)。
もし地球人に活字文化を誇りに思ったり、伝統を次の世代に伝えたり、自由で知的な文化を創造する気が少しでもあるのならそんなことはやめてもらいたい。これまでくどくど書いてきたようにコンテンツを蔑ろにしたらそれはそのまま蔑ろにした人たちに返ってくるんだから。このままだと本がどんどん売れなくなっていくよ。泥沼にはまる前に冷静になって考えるべきだ。
無限なる読者なんて幻想だ。時代の先端を走っていたコピーライターの糸井重里氏ですら『ほぼ日刊イトイ新聞の本』(2004年・講談社)の中で消費者を追うことに絶望している。「とくに90年代後半に入ってからは、気まぐれな消費者の動向を調査せいては後追いし、ますます自分たちが何をどうつくるのかが分からなくなっているように見えた(p80)」というように。
そしてマーケティングは死の道具だ。簡単にできてそこそこの利益が上がるからやめられなくなる。けれどそれは煙草のように確実に自身を蝕んでいくし、副流煙で出版業界はボロボロになる。どうかその前にコンテンツ主義を掲げてほしい。コンテンツさえよければ世界中にいくらでも読者がいることが「ハリーポッター」シリーズで証明されたはずじゃないか。
ぼくがまたいつか地球に遊びに来たときに、書店がすごく賑やかになっていることを願いつつ、火星に帰ることにするね。じゃあ、またどこかで。
第三章 電子書籍との全面戦争は近いのか
The Medium is the Message. --マクルーハン『メディア論』
……ってて。なんてこった、宇宙船がエンストを起こしやがった。これでもう数日暇が出来たわけだ。ではついでだから書籍だけじゃなくてライバルとなる他のメディアの方も観察しておこうか。そういえば序章でそんなこと書いたっけ。
ところで地球人のみなさんは文字文明の歴史をご存知だろうか。紀元前4000年に中国の陶器に絵文字が書かれて以来実に多くの伝達方法が生まれてきた。粘土、パピルス、甲骨、青銅器、竹、木片、ありとあらゆる素材にメッセージを託してきた。その中で紙はひときわ輝きを放っているように思える。そこに彗星のごとく現れたのが電子書籍だ。「神は死んだ」とはかの有名な哲学者の言葉だけど、ある時パソコンに「ka-mi-ha-si-n-da」と打ち込んでみたところ「紙は死んだ」と変換された。もしかしたらそれは誤変換ではないのかもしれないという宇宙からのメッセージを感じ取ったぼくは『ブック革命』(2003年・日経BP社)の著者である横山三四郎氏に取材を申し込んだ。
杉並区久我山にあるご自宅を訪れたぼくは、そうめんをご馳走になりながらインタビューをした。またその日はじめて電子書籍の端末(ソニー製)に触った。ディスプレイが乱反射しないため読んでいて疲れないというのが売りだそうだ。軽いしデザインもいい。表示されるスペースが狭いのが難点だろうか。
--電子出版のよさはどこにありますか-
「わたしが今準備しているサイト(注:現在は「eブックランド」として運用中であるhttp://www.e-bookland.net/index.html)にちょうどその説明を書いたところだ」
1 印刷物より安く出版することができます。
2 長く、半永久的に保存できます。
3 紙の本としてもいつでも出版できます。「まずe-Book、それから紙の本」です。
4 文字を大きく拡大できるので、目の弱い方も楽に読めます。
5 作品をインターネットで多くの人に読んでもらうことができ、手ごたえがあります。
6 作品を検索して、いつでも、自由に、好きなときに読むことができます。
7 セキュリティが確立しているのでコピーされたり、改ざんされたりすることがなく、安全です。
8 紙を使わないので、緑の資源をなくしません。eブックランドは地球のエコロジーを大切に考えます。
9 著作をCD-ROMにして、国立国会図書館に寄贈、保存されます。
10 電子出版ではインクや紙代、倉庫や流通の費用が不要なので著者に多く還元できます。印税は実売の50%です。
--すごい。でもどうしてこれだけ優れているのに広まらないんでしょうか。
「ひとつには複数の企業がデファクト・スタンダードを狙ったために、規格がばらばらになってしまったことが理由としてあげられる。もうひとつの理由は出版社が協力体制を取らないからだ。電子書籍を敵視している。なので私のサイトではこれまでの出版物を電子化するのではなく、新しいコンテンツをここから広めていきたいと考えている」
--やはり電子媒体が紙媒体を超える日は-
「近いだろう」
その日は、これからは電子の時代なのだなあとぶつぶつ呟きながら家路についた。けれど果たして電子書籍が書籍の対抗馬なのだろうか。電子書籍と聞くと書籍の進化版のように感じられる。それはあたかもゴジラ対メカゴジラのようだ。しかし実際にはまったくの別物だとぼくは思う。おそらく電子書籍は書籍から派生したというよりインターネットから派生したのではないだろうか。もしそうだとすると、書籍から見て電子書籍は脅威にはならないはずだ。ドイツの作家ウーヴェ・フリーゼルは別冊『本とコンピュータ4』(2000年)にこんな記事を寄せている。
「コンピューターやインターネット技術の発達により、電子本やオンデマンド出版などの新しい読書の状況が生まれた。これをみるとさまざまな読書の手段が共存していくだろうし、メディア全体での印刷本の位置付けを見直すべきだろう。私はこの先、本の世界に破滅が訪れるとは思えない。1950年代には、テレビは映画館を根絶やしにするだろうといわれていた。それ以前にもヴァルター・ベンヤミンは映画の発達にともない小説は消滅すると予言している。そして言うまでも無く、いずれの言葉も現実のものとはならなかった。こうして考えるとメディアの多様化によって私たち自身の知覚行使がさらに分化していくというのが、私には最もありそうなこと結果に思える。本は、コンピューターとは違った需要を満たすものとして必要とされるだろう。」
そうなのだ。電子媒体が書籍を駆逐するというのは大げさな危惧なのだろう。そんなわけで書籍と電子書籍が全面戦争をするということは今のところなさそうだ。(これを書いてしまうと蛇足になってしまうのだけど、もし書籍から電子書籍に覇権が移るようなことがあってもコンテンツ主義は動揺しなくてもいい。そのまま高品質のコンテンツを電子書籍で出せばいいからだ。)
そもそも書籍とインターネットは本質的にまったく別のものだ。映画とテレビの関係よりさらに違いが大きい。たとえば料金体系をとってもその違いは歴然だ。インターネットでの情報は基本的に無料でないと成功しない。だから「プロ」は存在しにくい。その点、書籍は流通システムが完成されているし、定価も保証されているのでとても対価が得やすいメディアだ。
クリエーターついでに言っておくと、最初に書籍は小さなメディアだと指摘した。それがにわかに輝きを帯びだす。たとえば新聞で極論を書くことは許されないし、テレビでマイナーな特集を行うとプロデューサーにげんこつをくらう。雑誌で大手企業を批判すれば編集長の首が飛ぶ。だけど書籍ならそれができる。小さなメディアの小回りが利く特性を活かして、かなり自由な言論活動が展開できる。
どれくらい出版社が変幻自在かはこの言葉からうかがえると思う。「電話一本で出版社はできる」これをぼくに言った人物はふたりいる。ひとりはメディア向けの新聞「文化通信」の星野渉さん。日本の出版は世界にも類を見ないほど「健全だ」と言っていたのが印象的だった。もうひとりは英治出版の原田英治社長。「ほんとうに電話一本から今の出版社を作り上げた」そうだ。
このへんの特性を全面に押し出して、出版には実在するクリエイティブな才能に光を与える存在であってほしい。コンテンツをつくる人間に幸せを与え、多様な文化を創出する出版であってほしい。糸井重里の「ほぼ日」のキャッチコピーが「ゴキゲンを創造する、中くらいのメディア」だとすれば、出版は「クリエイティブに光を与える、小さなメディア」がふさわしいのではないだろうか。そしたらまた必ず光り輝く時代がやってくるから。
出版が斜陽産業だとして、いったいだれがそれを回復するのだろう。それを考えたとき読者なんていう曖昧な存在に頼ったり、一部のベストセラーに左右されるより、未来の才能に託す方がいいんじゃないだろうか。このルポルタージュに書かれていることを信じるか戯言だと思うかはあなたたち地球人が決めることだ。けどね。本当のところはどうか知らないけど、ぼくたち火星人には未来を予知する能力があるって噂だぜ。
衰退は回復されねばならないし、回復されると僕は信じるが、しかしもっとも着実なその回復の筋道をつくる当事者たちは(…)若い人たちなのだ。--大江健三郎『新しい文学のために』