『1969年の上野高校学園闘争』高橋直純


序章 都立上野高校
 台東区上野公園の一角にある都立上野高校では、かつて学園闘争があった。1969年のことである。「全日制闘争委員会」という名の有志学生が学校の一部をバリケード封鎖し、5項目の学校改善を要求した。その結果、自主ゼミナールの単位認定、生徒会・生徒手帳の廃止などが達成された。上野高校だけではない。1969年は高校生にとって闘争の年だった。各地で高校紛争が起きたが、その多くは学生の要求が聞き入れられることなく一方的な処分や、時には警察の介入によって、問題の根本的解決には至らないままに終わっている。上野高校は数少ない学校側、生徒側にとっても比較的円満解決だったと言われている。多くのマスコミでも好意的な記事が出た。
 
 現在でも、上野高校は「自主協調」という校訓とともに、リベラルな校風が個性的な学生を多く惹きつけている。制服も校則も生徒手帳もない。生徒会もなく、体育祭や文化祭などの行事はその度ごとに有志が集まって企画した。このようなシステムになったのも1969年のバリ封がきっかけである。
 
上野高校の卒業生である筆者が、学園紛争があったことを知ったのは、偶然図書室で一冊の記録集を見つけたことによる。紛争から3年後に研究部(紛争後に進路指導部が改編された組織)の教師達によってまとめられた『資料上野高校の教育改革』という名の資料には、当時のビラや学校側の配布物などが詳細に記録されている。ほとんどの学生に見られることなくひっそりと所蔵されていた。

精読すると、編者の誠実な姿勢が伝わってくる。教職員側の作成した記録であり、そのまま鵜呑みにするべきではないのは分かっている。だが、少なくとも上野高校にとっては公式にも、学園紛争は恥ずべき過去として記録されていない。その資料からは、教職員と学生が一緒になって学校を良くしようとした運動の一環として、真摯に出来事を記録しようとする意思が感じられた。他にも当時の職員が紛争に関する本を何冊か残している。

本作品は、そうした記録とともに当時の学生や教職員へのインタビューなどによって1969年に上野高校であった学園闘争を改めてみていこうとするものである。

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