『1969年の上野高校学園闘争』高橋直純
第7章 「自主協調」
1969年10月に起きたバリ封を中心に当時上野高校であったことを見てきた。バリ封当事者だった1969年の3年生と筆者の間にはちょうど30年の年月の差がある。筆者の同級生たちでこの問題について知っている人はほとんどいないだろう。自由な校風や規則の少ない学生生活を当たり前のものとしてとらえていた。そして多くの同級生たちは、自由な校風を好きだったと思う。
だが、そうした校風も変わろうとしている。2004年度から赴任した校長主導(城善範校長)で制服を導入しようという動きがおきている。2004年度は生徒に対する説明会、職員会議でも理解が得られなかった。しかし今年、2006年度からの標準服(着用の義務はないが、行事等の際に着用が推奨される)の導入が決定した。こうした一連の動きが「校風」という無形の資産に、どのような影響を与えるだろうか。卒業生からは多くの反対の声が上がっている。
2005年7月、筆者は母校を訪れ、この問題について副校長先生に話を聞いた。制服(標準服)導入の理由は、曰く「TPOにあった服装を教える必要が教師にはある」「自由には責任がともなう」「標準服なので、着たくない生徒は着なくてもよい」「制服(標準服)があるからといって、自由がなくなるわけではない」「在校生や受験生には制服へのニーズがある」「80年の歴史の中で、制服がないのは30年に過ぎない」「周囲の人の学校に対する目が厳しくなっている」などなど。どれもそれなりに正しく、否定するのは難しい。だが、やはりそうした主張の裏に管理への意思が感じられる。
副校長への取材の中で、何度も反論したい場面があった。議論をすることがこの場の目的ではないので控えなければという思いもあったが、それ以上に上手く言葉にすることができなかった。一年近い間、多くの人に話を伺い、資料にあたりながら、この問題を考えていながら、上手く言葉にすることが出来なかった自分自身の不甲斐なさを感じた取材だった。
そうした筆者個人の問題とは別に、「自由」というものを語ることには、固有の困難さがつきまとう(ちなみに、副校長は本校の教育目標の中には「自由」はないと言っている)。制服があったとしても、高校生活というのはそれほど変わらないのだろう。一見すると、現在の校長の言うとおり制服を導入することによって得られるメリットのほうが大きいのかもしれない。制服を着ないですむ、着ないことを選択できる自由から僕達はいったいなにを得てきたのだろうか。現在においてもそれを上手く言葉にすることが出来ない。だが、高校生として上野高校で感じることのできた自由のもつなにかは掛け替えのないものであるという確信はしている。
このルポルタージュを書き終えようとしている今、拙い手つきながら「自由」というものを真剣に考え、そして行動した1969年の高校生、それを誠実に受け止めようとした教師たちの凄さを感じている。当事者たちが意図したものがどの程度達成できたかは別としても、上野高校がもつかけがいのない校風の源泉は確かにここにあると思う。少なくとも30年後の筆者と、そして同級生たちに有形無形の影響を与える程度には息づいていた(おそらく現在の在校生にとっても)。そのことをインタビューの最中、バリ封メンバーだった人に話したら、「恨まれてなくて良かった」と言った。執筆を終えて、改めて69年の出来事に感謝したいと思う。