『1969年の上野高校学園闘争』高橋直純
1章−2 高校生の政治活動
高校紛争については、記録も少なく当時の正確なデータを把握するのは難しい。ここでは『高校紛争 STUDENT POWER』という本の記述を中心として、当時の状況を掴んでいきたい。以下、1章−2では特に記述のない場合はこの本を参考にした。
編者の一人の都立高教師永野恒雄は「高校紛争」の基点は67年にあると分析しており、この年に関西の高校で起こった2つの紛争を紹介している。これらの事件に先立つ例としては、1967年の上野高校新聞部が発行する学内紙・東叡新聞3月17日号が取り上げた、1964年に福岡県立修猷館高校定時制でおきた反戦活動をした生徒への退学処分への抗議事件があげられる。見開き2面全部を使った特集記事は、見出しの横には次のようなリード文が載せられている。
「平和を願って署名活動をしたことが事の原因で、学校と生徒の対立が始まり、ついには原告の奴留田(ヌルユ)文子さんは退学処分ということになってしました。そこで奴留田さんは不当に思い、学校側を相手取って福岡地方裁判所へ訴えました。現在も裁判は進行中です」
記事の最後には「実行力と忍耐力を」と小見出しがあり、
「なぜもっと動こうとしないのだ。なぜもっと真剣に平和を考えようとしない。なんだってそうだ、この学校には勝手なやつばかりいる。大事には総会には耳を傾けようともせず、ただ一部のものに流される。まるっきり衆愚政治だ。 ―中略― みんなは卑怯だ。あまりにも勝手すぎる。利己的だ、ここに自分の正しさを主張して裁判までしている人がいるではないか。もっと視野を広くもて、世界は動いているのだ。その動きを見極められずにいると取り残されてしまう。平和のためにも、正しい事を行うためにも、強い忍耐と実行力が必要だ。これは必ず真の幸福を導くだろう」
と締めくくられている。
1968年3月には福島県立福島高校で卒業式の送辞が当初予定されていたものから、ベトナム反戦を訴えるものにすり替えられるという事件がおきた。1968年8月27日には東大安田講堂で大阪府立市岡高校と都立戸山高校の生徒が中心になった高校生による反戦集会が開かれた。翌28日の朝日新聞を引用する。
「全国高校生10・21闘争実行委員結成大会が二十七日午後、東京・本郷の社学同、革マル派など反代々木系学生が占拠している東京大学安田講堂で開かれた。高校反戦など高校生の反戦組織から百五十人(東京、大阪を中心に約百校)が参加し、十月二十一日に予定されている国際反戦デーに高校生独自の闘争を展開することを申し合わせたほか、委員長に小川敏雄君(大阪・市岡二年)を選んだ」
1968年9月には大阪府立市岡高でPTA会費問題に端を発する校長室占拠事件が発生する。発生から約12時間後に占拠はとかれ、立てこもった生徒は校外に退散した。これが初めての高校での「占拠」事件となる。1969年1月都立新宿高校定時制でバリケード封鎖(未遂)騒動が、東京で初めて発生した。3月には各地で「荒れる卒業式」となり、都内でも38校の高校中学で騒ぎが起きた。上野高校でも分裂卒業式となった。
1969年は高校闘争の最盛期となる。元東京都教育長指導部長の北沢弥吉郎『東京の高校紛争』によれば、1969年9月から12月までの間に「紛争」が発生した都立高校は31校、封鎖が行われたのは24校である。しかしこの24校には上野高校の封鎖が含まれておらず、25校というのが正確な数字だろう。ちなみに当時の都立高校は全部で149校である。もっとも深刻だったといわれる都立青山高校では61日にわたって授業が行われなかった。
1969年12月以降、高校紛争は急速に沈静化していった。沈静化が進んだ要因の一つとしては行政側による取締りの強化があげられる。10月25日の朝日新聞には「指示従わぬ生徒は 退学を含む強い処分を 高校紛争授業正当化ねらう」という見出しのあと、
「高校の封鎖や授業中止が続出している都立高校の紛争に対処するため、東京都教育委員会は二十四日『紛争を早期に解決し、授業を正常に戻すためには学校長の異動や都教委独自に機動隊導入の要請も考える』との『授業正常化についての基本方針』をはじめて発表した。この基本方針にもとづき、野尻高教都教育長は同日、全都立高校長に対し『一部生徒の不法な行為は断じて許すな。学校の指示に従わない生徒は退学、停学の処分を』との強い通達を出した。生徒の処分を指示したのは今回がはじめて」
とある。10月31日には「高等学校における政治的教養と政治活動について」という名の「文部省見解」がでる。
「学校の教育活動の場で生徒が政治的活動を行うことを黙認することは、学校の政治的中立性について規定する教育基本法第八条第二項の趣旨に反することになる〈第四の1〉」「国家・社会の法や秩序に違反するような活動や暴力的行動については、常に厳然たる態度で適正な処分を行うべきである〈第四の3(4)〉」
生徒の政治活動に理解を示すこと自体が、教育基本法に反するというわけである。青山高校では9月14日、日比谷高校では10月28日に警官隊が導入された。
70年に入ってからは4校でのみ紛争に突入した。『高校紛争』の中で永野は次のように記す。
「高校紛争は、教育行政の強硬姿勢によって、具体的には警察力の導入と関係生徒の処分によって収束した」
こうして70年以降、急速に高校生の政治活動は減少していき、それ以上に政治に対する関心も失われていく。