大学 ——「東京海洋大学 海洋科学部 海洋政策文化学科」を問う——
潜入
潜入に成功した。
ビルが立ち並び、新幹線も停車する品川駅から徒歩10分、高浜運河を渡った先に人知れず大学が居る。正門を抜け、セミクジラの全身骨格標本を通り過ぎ、左に目を向けると開発が続く品川には似つかわしくない広大なグランドがぽっかりと広がっている。その横を首都高速羽田線が沿うように走っていて、グランドは人々から丸見えだ。校舎は国立大学らしく、良く言えば趣があり、悪く言えばボロボロ。メインストリートを食堂まで歩く頃には、至る所に猫が潜んでいることに気が付く。以前まではメインストリートから東京タワーを目にすることができた。しかし、現在では高層マンションが乱立し、タワーはその陰に隠れてしまっている。敷地の外に目を向けさえしなければ、ここが都心であり、しかも六本木ヒルズと同じ港区に存在するということを忘れる。ここが今回の調査地だ。
2004年4月、東京海洋大学、海洋科学部、海洋政策文化学科の一期生として東京海洋大学、品川キャンパスに潜入した。もっとも、当初は別の大学に潜入するつもりだった。だが、センター試験に失敗……。これは、潜入要員としては致命的なミスだったはずだ。ところがこのミスが幸いする。潜入するには立地条件も良く、国立大学で経費も安く抑えられる東京海洋大学を発見したのだ。なにより「東京海洋大学」という名称が良い。誰しもが一度はそこに何らかの夢を感じる「海」。これを東京という日本で最も最先端の都市で学ぶことができるというイメージがある。また、大学が数隻の船を所有している点も見逃せない。これは他の大学では滅多にできない経験ができることを意味し、潜入意欲をかき立てるには十分。これが、かつての名称「東京水産大学 水産学部 資源管理学科」であったならば、潜入することはなかっただろう。
プロローグ
大学とはいったい何なのだろう。東京大学だけが大学なのか。それとも学校教育法、第五章 第五十二条による大学の定義が大学なのか。同法によれば「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」とのことだ。しかしこれに適合するものが社会的に受け入れられた大学なのだろうか。
2007年度には「大学全入時代」を向かえ、大学に行きたい者であれば誰でも入学することができると言われるようになった。現在の日本において、大学の意義はある意味では大きくなり、ある意味では薄れてきた部分があるように感じる。なぜならば「少子化」「大学全入時代」「国立大学独立行政法人化」などの要因が重なり、各大学は生き残りをかけて必至にならざるを得ない時代でもあるからだ。そのような時代において、それぞれの大学は試行錯誤し、工夫の一つとして多種多様な学部や学科を設立してきた。一見、学部や学科の名称を聞いただけではそこでどのような学問が教授されているのか見当が付かないものも増えた。また、技術者教育プログラムの審査や認定を行い、国際的な水準の保証を行うJABEE制度の導入の他、執拗に「産学連携」を謳い、それらを求める大学も増えた。このように、各大学は創意工夫を施し、社会的知名度を上げ、学生の質の向上を目指し、学生数の確保を始めた。では、それらが実際に大学に所属する学生にとって、どのような影響があるのだろうか。以下はそれらを再考するために、私がその一例として東京海洋大学、海洋科学部、海洋政策文化学科に潜入、約3年近い年月をかけて調査したものである。
東京海洋大学とは
調査報告をするにあたり、まずは東京海洋大学とその基である二つの大学についておさらいしておこう。私が潜入する数ヶ月前の2003年10月、東京海洋大学は東京水産大学と東京商船大学が統合されて誕生した。その際に設置された学部は海洋工学部と海洋科学部。学科は海洋工学部に属するものが海事システム工学科、海洋電子機械工学科、流通情報工学科であり、海洋科学部は海洋環境学科、海洋生物資源学科、食品生産科学科(平成18年度より改称)、そして海洋政策文化学科となる。
東京水産大学は1888年に設立された大日本水産会水産伝習所、東京商船大学は1875年に私立三菱商船学校として設立された学校が基になっている。しかし、統合された現在でもほとんどの場合、学生にとっては統合とは名ばかりで、東京商船大学のあった越中島キャンパスは海洋工学部、東京水産大学のあった品川キャンパスは海洋科学部と明確な棲み分けがなされている。目に見える統合後の変化を挙げるとすれば、一部の先生が両キャンパスを行き来することや、部活動が統合されただけである。大学祭もそれまで通りに両キャンパスで行われている。これが統合後の現状だ。ちなみに、海洋科学部の私も海洋工学部の講義を受けることができるようだが、実はいまだ越中島キャンパスに足を踏み入れたことすらない。
両校とも、創立約120年の伝統校である。それだけに著名人もこの両大学から輩出している。鈴木善幸−第70代内閣総理大臣(水産講習所卒業)、中島董一郎−中島商店(現キユーピー)設立者(水産講習所卒業)、星野哲郎−作詞家、日本作詞家協会の会長(清水高等商船学校卒業)などがいる。また、元連合赤軍中央委員会書記長、最高裁で上告棄却、死刑確定し、現在再審請求中の坂口弘は東京水産大学中退である。坂口弘に関連して、品川キャンパスには不思議な地下通路が存在する。その地下通路は敷地内にある学生寮(朋鷹寮)から各建物、正門付近までとありとあらゆるところに繋がっていて出入りすることができるのだ。この地下通路は、学生運動が盛んだった時代にいつでも建物内から逃げることができるようにするために作られたという話はよく耳にする。もっとも、危険なので今では地下通路の出入り口には鍵が掛けられ、許可なく入ることができないようになっている。
海洋政策文化学科
さて、今回潜入した学科は「海洋政策文化学科」。この学科の一学年あたりの学生数は40名前後。潜入から数ヶ月が経過したころ、早くもこの大学の学生達のアイデンティティーを問う事態にしばしば直面した。「東京海洋大学」という新名称にその原因が挙げられる。
「○○君はどこの大学に潜入したの?」
「東京海洋大学だよ」
「へぇ〜……そこの学生は船長になるの?それとも漁師?」
おそらく「東京海洋大学」という名を聞いて「海洋」から必至に連想したのだろう。確かに、あながち間違っているわけではない。大学を卒業した後に、田舎に戻って漁師を継ぐ者、海技士免許を取得して船会社に就職する者もいる。そもそも、海洋工学部は流通情報工学科を除いて船舶職員を養成するコースだ。海洋科学部でも学部の4年間を経た後、水産専攻科に進み、所定のカリキュラムの履修が済んでいる者であれば三級海技士の国家試験のうち筆記試験を免除される。しかしながら、とりわけ海洋科学部に所属している者からすれば、船乗りや漁師になる者は少数派である。ということで「東京海洋大学」を名乗ったからにはさらに説明を加えなければならない。
「そういう人もいるけど、ほとんどは違うよ」
「じゃあ、何を学んでいるの?」
「海洋環境学科は環境を学んだり、海洋生物資源学科は海洋生物の生態系、食品生産科学科は名前の通り食品だよ」
そう、ここまでは良いのだ。なにせ、学科の名称から学んでいることが想像しやすい。ところが「海洋政策文化学科」の学生達にとって問題なのはこのあと。
「○○君はどこの学科なの?」
「海洋政策文化学科!」
「そこは何を学ぶの?」
「う〜ん……」
調査のために潜入した私自身ですらこの答えに詰まってしまう。この学科に所属する他の学生達も同様の様子。他の学科の学生からも何を学んでいるか聞かれてしまうのである。
「海洋政策文化学科」という一見あいまいな名称が、そこに所属する学生達の大学での立ち位置をもあいまいにしてしまっている感が否めない。学科の名称通り、海にまつわる政策や文化を学ぶところと言ってもそれだけで即理解できる人は少ないだろう。海洋工学部はわからないが、海洋科学部には「おさかなさん大学」と自ら言う人もいる。そうしてまた最後に触れるが「おさかなさん大学」なんて言っていたら、ついに多彩な知識とその強烈なイメージを持ち合わせた「さかなクン」が客員助教授に就任した。
「海洋政策文化学科」に所属するとある学生
では「海洋政策文化学科」に所属するある学生の一人を見てみよう。彼は私と同じ2004年4月にこの学科に入学した。彼は地方から上京し、朋鷹寮に入寮、部活はカッター部に所属した。カッターとは簡単に説明すると映画『タイタニック』でタイタニックが沈みゆく中、乗客が避難した救命艇のことである。このカッターを14名で漕ぎ、規定の距離のタイムを競うのだ。今でも海上自衛隊や海上保安庁でも訓練の一つとして取り入れられている。私もこのカッター部の試乗会に潜入したことがある。重いオールを全員で声を掛けて合わせながら進むカッターは、見た目以上に相当ハードな競技だ。
現在、寮生でありカッター部に所属、なおかつ日本学生支援機構から奨学金を借りつつアルバイトも行う彼が、何を求めてこの大学のこの学科に入学したのか探ってみよう。
私「この大学を選んだ理由は?」
彼「元々理系気質で高校では理系を選択、理科は生物を選択したんだ。とりあえず生物系のことを学びたかった。人を相手にすることより、生き物を相手にしたかったから」
私「何か生物の研究をしたい、という思いが高校生のときからあったとか?」
彼「そうそう。それでどうせなら大学から専門的なことをやってたほうが良いと思って、漠然と生物をやるよりは絞って絞って……海が好きだったのもあってここに来たって感じ」
私「生物系を学びたかったのなら他の学科の方が良かったんじゃないの?」
彼「うん。学科はね……。センター試験で失敗してここの学科しかだめだったから……じゃあここでいいかって」
私「他の大学という選択肢もあったんじゃない?」
彼「高校3年生の夏にいっぺん三重大学の推薦入試を受けに行ったよ」
私「推薦……」
彼「うん。落ちたけど……」
私「同じ海洋系か生物系を受けた?」
彼「そう。三重も生物資源学科っていうとこ。そこは微生物をやるとこだったんだけど。そこはね」
私「そうか…。私立は受験しなかったの?」
彼「一校も受けなかった。金がないし、行く気がなかった。浪人するつもりもなかったよ。親は浪人しても良いって言っていたけど……うち母子家庭だから……まぁ迷惑掛けたくなかったし、浪人も迷惑掛けるし、私立も迷惑かける。だから受かるところに入ろうと……」
私「だから国立を選んだのか」
彼「もう、ここしかないぐらいの選択だった」
彼もまたセンター試験で失敗、生物系を学びたいが他の学科を受けるにはそれ相応のリスクがあった。そこで「海洋政策文化学科」に出願、無事合格したのだ。生物を学びたいと進学してきた彼だが「海洋政策文化学科」は名前から連想できるように文系色も持っている。
大学のホームページによると「海洋政策文化学科」に対して以下のように述べている。
海と人との共生関係が叫ばれてから長い年月がたっています。しかし、地球レベルでの海洋汚染や漁獲高はむしろ悪化の傾向にあり、また、それにともなって海洋利用をめぐる国際的・国内的な問題も増加しています。もちろん私たちは、私たちの生命と文明を生み出し、育んでくれた海洋とのつながりを断ち切って生きることはできせん。21世紀にあって、海と人との共生関係に根ざした海洋利用と管理は、ぜひとも達成しなければならない人類的な課題なのです。
本学科は、こうした問題意識を背景として、総合的な教育・研究を行うまったく新しい学科です。グローバルでしかもローカルな視点に立った政策提言など、新たな海洋産業・海洋文化の発展を理論と実践の両面から追求します。・・・(後略)
キーワードは「海と人との共生」であり生物とは言い難い。生物を専門に学びたい彼にとっては不満のあるカリキュラムがこの学科には用意されていた。少々厳しいことを言うのであれば、高校時代の勉強が足りなかったのだろうと言えるが、それは彼自身も十分感じているだろうし、自分のやりたいこと、学びたいことをその時にできる環境で行おうとする彼の気持ちを無視することはできないだろう。実際に、彼は入学した後も所属する学科を変えることも考えたのだが、厳しい条件が設定されていたためにこれも諦めなければならなかった。そのために「海洋政策文化学科」でありながら他の学科の授業を、卒業するために必要な単位数に含まれる訳でもないのに所定の数(4単位)よりもはるかに上回る数を受けていた。そうして、大学4年生の研究室は他の学科の先生に所属することが決まった。そんな彼の夢はなんだろうか。
私「夢はある?」
彼「今のところ二通りあるんだよ。一つは専攻科に行って海運、商船関係に就職。もう一つは研究職に就くこと。一応、研究職の候補はでかい!」
私「教えてよ。その候補…」
彼「ちょっとでかいけど、JAMSTEC……。一応、昔の名前が海洋科学技術センター。当時は国立だったんだけどね」
私「独立行政法人化の流れかぁ」
彼「そうだなぁ。法人化したみたい。それで、JAMSTECっていう名前になった。やっていることは国営の研究機関と同じ。一応、日本で一番でかい海洋研究のところ」
私「そこに入って?」
彼「そこがいいなと思ってる。まぁ、ようはそういうことがやりたい。船に乗れる技術、資格を持っている方がただの院あがりより当然良くなってくるわけじゃん。あと、単純に専攻科に行きたいのはこの大学じゃないと行けないから」
夢の話をするときは、それまで淡々としゃべっていた口調から一転、少し気恥ずかしそうに話してくれた。ここに出てくるJAMSTECとは海洋研究開発機構のことで、有人潜水船の「しんかい6500」や「かいこう7000」などを所有、運用もしている日本の海洋研究機関のことである。専攻科とは水産専攻科のことで先に書いた通り、海洋科学部を卒業した後1年間かけて行う船舶職員養成コースのこと。彼はそこに進学し、その後は大学院の進学を考えている。彼は続けて言う。
彼「経験として、っていう意味もでかいけど、ただJAMSTECに行きたいだけだったら院だけ行けばいいし。そのままでも入れる訳だし……。経験もあるし、でかいし、もう専攻科希望は学部3年生から1ヶ月航海に出たりするわけだし。他の大学では絶対やらないことをやるわけだからでかいよ。土産話ひとつがまわりにとっては珍しいことだから……」
彼は、ただJAMSTECに就職できれば良いと考えているのではなく、東京海洋大学でしか得ることのできない経験を専攻科に進学して積み、その経験を後の研究に生かそうと考えているのである。
また、付け加えておくと彼は専攻科や大学院に進学した際に忙しくなることや、いざ何かまとまったお金が必要になった場合のことを考慮し、借りている奨学金にはほとんど手をつけていない。ほとんど全ての生活費の他に授業料もアルバイトで稼いで生活を送っている。国立大学であるために、授業料は免除申請が行うことができる。授業料は半期ごと、つまり1年間に2回支払うのだが、その度に審査を行っている。その審査いかんによって、全額免除や半額免除となる。審査には親の年収や経済状況の他に大学での成績が加味されるので毎回のテストは必至なのだ。
曖昧な学科を考える
彼は「政策文化学科」に不満を持ちつつも、その原因が己にあることを自覚しているので次への行動へとつながり、やりたいことをするために今できることを行って夢を現実にしようとしている。ところが、他の「政策文化学科」の学生の中にはこの学科をいわゆる理系の学科と見なして入学した者もいたり、単に海が好きだから、釣りが好きだから、魚が好きだからという理由で入学してきた者も多いと感じる。好きから始まる学問、触れてみて興味を持つこともあると思うので、これらの否定はしない。私自身も似たような理由でここを潜入場所に選んだのだから……。もっとも、世界史を履修しないような受験教育を受けて来た高校生に、将来のことをきちんと見据えて大学を選ぶ余裕がどこまであるのか疑問だが、この問題は割愛する。
では、改めて「海洋政策文化学科」を見てみる。
統合する前の東京水産大学時代、5つの学科が水産学部に存在していた。海洋環境学科、海洋生産学科、資源育成学科、資源管理学科、食品生産学科の5つ。このうち、「海洋政策文化学科」は資源管理学科が基となっている。資源管理学科とは水産資源の管理や食品の流通経路を学ぶ学科であり、この学科に所属していた先生やシステムを基に、統合後「海洋科学部 海洋政策文化学科」に改編されたのである。わかりやすくするために資源管理についてもう少し説明すると、例えばTAC(Total Allowable Catch)制度が挙げられる。この制度はサンマやスケトウダラ、マアジなどに漁獲可能量を設定している。なぜ、漁獲可能量が設定されているかというと、近代、乱獲によって水産資源の漁獲量が減少している。そのため、水産資源の枯渇を防ぎ、持続的可能な漁獲を続けていくため上に挙げた魚種などを漁具の制限や、漁獲可能日数などを定めるのである。このような制度を設定するためには様々な調査が必要であり、それらを研究するのが資源管理の一つにあるのである。
このような研究に加え、先に挙げた大学のホームページにあるよう「海と人との共生」を重要キーワードとして新たに作られたのが「海洋政策文化学科」なのである。資源管理に加えて、漁村やマリンスポーツを利用した町作り、国際海洋法の他、海洋にまつわる文化や文学を手広く研究するのがこの学科なのだ。
しかし、「海と人との共生」が私自身も含めて、この学科のキーワードであるということを自覚している学生は少なかった。なぜ、このような事態に陥っているのか分析してみよう。
まずは、統合後の一期生なのは学生だけでないということが考えられる。授業を行う先生方も東京海洋大学の一期生なのだ。「海洋政策文化学科」に限って言えば、統合後、先生方の再編があった。もともと海と直接関連しているとは言い難い、外国語や科学技術、言語、哲学、外国文化、生命倫理等のいわゆる一般教養とここでは見なされていた学問を教えていた先生達が「海洋政策文化学科」の先生として組み込まれた。彼ら一般教養の先生方に割り当てられている部屋は品川キャンパスの5号館という建物に集中する。この5号館は旧名を共通棟と言い、もとは品川キャンパスにあった建物はそれぞれに環境棟、食品棟、資源管理棟、育成棟などと呼ばれていたのだ。それが、改められて各建物には数字が付けられたのである。現在でも東京水産大学時代に入学した学生達はしばしば旧名称を使用している。
さて、この5号館の先生達、元々は建物の旧名称が示す通り共通講座の先生達だった。つまり、東京水産大学でありながらそこを拠点とする先生達の多くは、専門が水産ではないのである。そのため、学生達は学部の4年生になると各先生(研究室)に配属されるのだが、基本的に共通講座の先生達は学生を受け持つことがあまりなかったのだ。4年生を迎える前までの3年間を水産大学で学んできて、水産に疲れた者、他のことに興味を持った者が自ら共通講座の先生の研究室に所属することがあったくらいなのである。
そうして新たに「海洋政策文化学科」に組み込まれた共通講座の先生達にも多少の混乱はあったと推測できる。「海洋政策文化学科」の先生としてこの学科の学生達にそれまでの資源管理学科の先生達と一緒に統一したメッセージを送ることは難しいことだろう。「海洋政策文化学科」の学生達にとっては資源管理学科から派生した授業も、もともとは共通講座の先生達が行う授業も「海洋政策文化学科」の授業なのだ。それまでのように共通講座の授業として受ける意識ではないのだろう。
また、ここでエピソードを一つ挙げたい。海洋科学部に入学すると、1年生の時に臨海実習がある。食品生産科学科を除き、千葉の館山にある実習場に行く。その際に、東京水産大学時代ではカッター実習、遠泳実習を行っていたのだ。カッターとは前述のカッター部で行われているものである。遠泳は、実際に海でグループを組みながら泳ぐのである。もちろん、中には長い距離を泳げない者もいる。そのような者のために、事前に学内で泳力判定、泳力基礎訓練が行われるのだ。そこでは、カッター実習ではカッター部の上級生、泳力訓練では水泳部の上級生達が中心となって1年生を訓練するのである。
ところが「海洋政策文化学科」の一期生は違った。遠泳が廃止しになり、代わりにスノーケリングや釣りをすることになったのだ。私が潜入した代ではスノーケリングで磯観察を行ったり、堤防から投げ釣りをしてキスなどを釣り上げ、それらをその日の夜にみんなでさばいて食べた。まず軽い火種になったのは投げ釣り。堤防から投げ釣りを行っていたのだが、なんとその先の見えるところで他の学科がカッター実習や遠泳の本番のための練習を行っていたのだ。必至になって遠泳練習をしている彼らからみれば、楽しそうに投げ釣りを行っている私達。無論、どちらも実習の一環であることに変わりはない。しかし、彼らから見れば、私達が楽しそうに釣りをしているところを、妬む思いで見ていた者もいるかもしれない。もっとも、この鉢合わせは事前に先生が私達が釣りをするすぐ目の前でそのような訓練が行われていることを知らなかった故の結果であり、本来は避けたかったようだ。
では、なぜ私達の学科の遠泳などがなくなったのかというと、それは先生達が「海洋政策文化学科」の趣旨に照らし合わせて、遠泳を行うことよりもスノーケリングや釣り、その他に漁協や定置網見学をすることの方が有意義だと判断したからだろう。これらが、ひと揉めふた揉め起こしたようだ。学科の外からの他にも、大学が所有する船舶職員の中には「遠泳もやらないぬるい奴らに船に乗る資格はない。」ということを言う者もいたそうだ。
当時、そのようなエピソードがあり、他の学科から「ぬるい学科」と揶揄されることもあった。そうして、ますますあいまいな学科になっていき「海と人との共生」というキーワードが根付かなかったのである。ただ、私が潜入して間もなく3年になるが、このような対立が原因となって「海洋政策文化学科」の学生達が不利益を被るような大きなトラブルが起きたと聞いたことがないので、とりあえずは安心できるとは言えそうだ。
ここまで執拗に何度も「海洋政策文化学科」という語を書いてしまったが、何度も読んでいるうちに何か感じることはないだろうか。「海洋政策文化・学科」「海洋・政策文化学科」「海洋政策・文化学科」「海洋・政策・文化学科」等々、区切ったりはしていないだろうか。言ってしまえば「海洋政策文化学」という学問は存在しないのである。いや、ここから新しい学問が登場するのだ、と言うのならそれも否定できないし、何も学問名を学科名称にする必要がないと言われればそれもまた然り。しかしながら、この「海洋政策文化学科」という名称は改めて見ると、長たらしくてどこかしまりがないようにも感じる。実はこの名称に関しても少々揉めているようだ。
ある3人の先生の発言の一部を見てみよう。
A先生「海洋政策文化学なんていう学問はないのだから、私は『海洋政策・文化学科』とした方が良いと思う」
B先生「学科名に『海洋』が付く必要なんてないんだよ。その方がすっきりする」
C先生「『海洋』をはずせなんて言う人がいるけどさ、ここは海洋大学なのだから『海洋』をはずしてどうするんだ。海洋のことを学ぶから意味があるのだから」
どの先生の発言にも一理ある、と納得している場合ではなく、学生の知らないところで学生のアイデンティティーを問うような議論が挙がっていることに驚いた。
実は、海洋科学部は元々すべての学科の頭に「海洋」が付いていた。それが2006年より「海洋食品科学科」が「食品生産科学科」に改称されたことで「海洋」での統一が解除されたのである。なぜ「海洋食品科学科」から「海洋」が外されたのだろう。おそらく「海洋」を付けることで、海に関わる食品だけを扱うというイメージを払拭したかったのではないかと考えている。加えて、もともと東京水産大学時代は海洋が付いていなかったことや、食品業界での実績が「海洋」を外すことに抵抗がなかったのではないか。つまり、実績のない、あたらしい学科である「海洋政策文化学科」は「海洋」を付けることで東京海洋大学に繋がっていられる、と考えられている節があるのだろう。
あいまいな学科と言われ、何をしているかわからないと言われてしまう「海洋政策文化学科」。確かにマクロな視点から見ればその通りだ。だが、言い換えれば幅広い分野をカバーし、他の学科のような専門分野と比較すると「海と人との共生」を考えるために広い視野が必要なのである。それ故、各学生達の得意分野も多種多様で例えてみればモザイク状だ。私は水産という分野を生かしていくために、専門である「戦術」をある程度知りつつ、それらを効率よく使うための「戦略」を考えるという意味において、このような学科は必要だと考えている。幸いにして上記のような問題があるものの、「海洋政策文化学科」の先生方の印象は他の学科の先生方に比べ、仲が良いという印象を持つ学生が多い。まるで、こどもが親の仲の良さを微笑ましく感じるようなものである。熱意ある先生もいることなので、今後の「海洋政策文化学科」の発展を願うばかりだ。私も潜入員としてここの学生になったのだが、今では何らかの形で多少なりとも貢献できるよう志を持っている次第である。
広報活動
東京海洋大学は越中島キャンパスでは船関係が主に、品川キャンパスでは水産関係を主とした、いずれも水圏を中心とした学問、研究を行う総合大学とは違う特殊な大学であると言える。それ故に大学外部との交流も限られた分野になりがちなのではないかと感じている。通常の学生生活を送っている者には、外部との交流をするような機会があまりないのである。誤解を招かないように述べておくと、私が言っていることは部活動やサークルなどを指しているのではない。もっとも、東京海洋大学には部活・サークルの種類は少ないのでこれに関連した交流も少ないとは言えそうだが……。
そのような中、なんと「さかなクン」が東京海洋大学の客員助教授として迎えられたのである。まず、「さかなクン」について簡単に説明しよう。「さかなクン」が知られるようになったのは、テレビ東京の「TVチャンピオン」という番組に彼が高校3年生の時に出場したことから始まる。「第3回魚通選手権」に初出場で準優勝。その後、同番組の「第4回魚通選手権」以降、5連覇を果たし、魚に関するあらゆる知識に精通している上に、頭に大きなハコフグのぬいぐるみをかぶるその特徴あるキャラクターが定着していった。そうして、2001年にTBSテレビの「どうぶつ奇想天外!」に出演者・解説者として登場するに至ったのである。(『さかなクンオフィシャルホームページ』参考<http://www.sakanakun.com/>)現在ではテレビ、新聞、ラジオ等々に広く出演する他、イラストレーターとしての活動も行って本を出版するなどしており、水産庁水産政策審議会特別委員も務めている。その「さかなクンが」2006年10月10日に客員助教授に就任したのである。
ところが、今のところ「さかなクン」の就任に対する学生の反応は冷静だ。「さかなクン」の肩書きは「お魚らいふコーディネーター」とのことだが、彼の頭にハコフグのぬいぐるみをかぶっているなどの特徴あるキャラクターや、どうしてもメディアへの露出が多いために他のタレントと同じように見られがちなのである。「さかなクン」の持つ、専門家も驚く多彩な知識やイラストレーターとしての実力に目が向けられないのだ。これらは、今後「さかなクン」が学生達に講義を行うような場を多く持っていけば解消されると思うが、多忙な彼に東京海洋大学の客員教授としての仕事がどこまでできるか疑問があるのも事実である。だが、私は彼のような多岐に渡った活動を行っている者を大学が受け入れたことは大きな変化だと感じている。世界でも有数の水産国家でありながらその意識に欠けると言われる日本人。それらの人々に対して、大人から子供まで、幅広く受け入れられた彼の活動の意味するところは大きいと考えるのである。つまり、大学側は彼を入り口として様々な水産問題を伝えていこうとしているのではないだろうか。再び「海洋政策文化学科」を出すと、この学科はこういった広報活動や水産に関する教育活動を、求められているのではないかとも思うのだ。これも、大学の生き残りをかけた思い切った戦術の一つなのだろう。
一方、他の大学にも幅を広げ、広報活動としての観点から別の提言をしておこう。その一つがホームページ等のネット上のコンテンツである。今や、何か調べ物をするときまずはインターネットを利用して検索する人が多くなってきている。大学を受験する者であれば一度は大学のホームページを見るのではないか。無論、このような潮流の中、ホームページを持たない大学はほとんどない。だが、より具体的な話になるとどうだろうか。各先生や研究ごとのコンテンツはどうだろう。一つの大学であってもその中で行われている研究や学問は様々である。それは「おさかなさん大学」とも言われる東京海洋大学を見ただけでもわかると思う。そのような、各研究や先生ごとの専門分野に対するインターネット上のコンテンツが充実しているとは言い難いと感じるのである。
これから門戸を叩こうとする者にとっても、より具体的な研究内容やそこでの教員や学生の雰囲気を知ることは重要なことだ。だが、これらを知る機会というのはまだまだ少ないように感じるのである。単に大学の公式ホームページだけでなく、例えば個々の教員や学生のブログまでも含めてもっと活発にインターネットが利用されてもいいのではないかという提言を付け加えておくことにする。
総括
本報告書は「東京海洋大学」という特殊な大学の特殊な事例に過ぎないのかもしれない。しかし、この大学が行った大学の統合や再編、それぞれの工夫は、今やどの大学でも当たり前に行われる可能性が高くなってきたのである。それに伴い、一見外部からではわかりにくい諸問題が発生していると感じる。これらの問題は学生や先生方、ひいてはこれから入学するだろう人達にとって必ずしも何らかの利益をもたらすものとは言えそうにないのだ。大学競争への過渡期にある今、改めて「大学とは何か」が問われているような気がする。
監視
潜入に成功し、調査を開始して早3年が経とうとしている。品川キャンパスが位置する天王洲ではドラマだろうか、それとも映画か……そこでは今日も何かの撮影が行われている。今ではすっかり見慣れた光景だ。そのそばを、仕事帰りの人々が一同に駅へと向かっている。果たして、彼らの中にどれだけの人が、ここに「東京海洋大学が居る」ことを知っているのだろう……。どれだけの人が「大学」を知っているのだろう……。調査を行えば行うほど、「大学」と私との距離は開くばかりである。だが……だからこそ私はここで調査を続けるのだ。「大学」も所詮は人の集まり。その大学という共同体の一つ「東京海洋大学」に私は必然的に潜入しただけである。そこで、自分で見たもの、自分で感じたもの、自分で考えたものをこうした報告書として作成したのだ。まずは、私は私のために「大学」とは何なのかを問い続けたい。

