どうなる?日本のアニメーション

杉山 祐樹
   

1、はじめに

今、日本は空前のオタクブームなんだそうだ。確かにそうかもしれない。2005年にフジテレビで放送された「電車男」は平均視聴率が20%を超える高視聴率を記録。TVにはアニメーションやマンガ好きを公言して出演の機会を得る芸能人が増加。都市部ではメイド喫茶なるものが流行り、メイド服を着た店員が店のビラを配っている。書籍でも秋葉原のガイド本が出版されたり、新書で「オタク」を扱った本が増加している。野村総合研究所はオタク市場予測チームを発足させて、企業へマーケティング戦略や商品開発への応用のためのアドバイスを行なっている。日本政府も知的財産戦略会議の報告の中で、オタクという言葉は使わないまでも、アニメーションやマンガ、ゲーム等のコンテンツ産業に期待を寄せている。これからはオタクの時代、コンテンツを育成させて世界へ発信していくのだ。そんな声が聞こえる。でも、ちょっとまってくれ。そのコンテンツ産業の一つであるアニメーションが今、危機的状況だと言ったら信じてくれるだろうか。アニメーションはこれまでに多くの感動を産み出し、多くの人の人生に影響を与えてきた。スタジオジブリ制作、宮崎駿監督作品『千と千尋の神隠し』が海外映画祭で多くの賞を受賞し、評価を得ている。日本のアニメーションは世界最高峰であるという人もいる。アニメーションを見て育った私達は日本アニメーションの成長が誇らしく感じていたのではないか。しかし、その日本アニメーションの成長の土台を支えているはずの、アニメーター等の人材育成や労働環境は問題が山積していると言われている。低い賃金、人材不足、海外発注。産業の空洞化が進んでいると言われる。もし、そうなのだとしたら、大変だ。日本のアニメーションは海外のアニメーションよりも話に深みがあり、優れているといわれている。私もそう考えている。もし、アニメーターになる人がいなくなってしまえば、この日本のアニメーションのいいところが失われてしまうのではないか。シナリオだけ作成しても、そのシナリオを絵にして表現する、日本のアニメーターがいなくては作品はつくれないのではないか。そう考えるのだ。では、現状のアニメーション産業の環境はどうなっているのだろうか。


2、ディズニーとアニメーションの発展

現在の日本のTVアニメーションの先駆者が手塚治虫であることは、誰もが認めるところだと思われるが、その手塚治虫に多大な影響をあたえた人間といえば、ウォルト・ディズニーを忘れてはならない。手塚のみならず、ディズニーは世界のアニメーションに影響をあたえた人物であろう。その、ディズニーのアニメーション制作への歴史を振り返ることで現在のアニメーション制作の望まれる姿を考えるきっかけとなるのではないだろうか。山口康男が記した『日本のアニメ全史』を参考に歴史を見てみよう。
 ディズニーも先駆者であるからこその挫折や失敗を多く経験している。ディズニーが最初に本格的にアニメーション制作に取り組んだのは1922年であり、20歳と若い頃だった。それまで風刺画を主に描いていたディズニーは、広告会社で切り込みアニメーション『赤頭巾』を制作したのがきっかけで、会社を設立して童話アニメーションを制作した。制作したアニメーションをディズニーは配給会社に売り込むものの、うまくいかず会社を清算せざるを得なくなってしまう。これが1度目の挫折である。
その後、実写映画の監督を目指すものの、これもうまくいかない。結局、ディズニーはアニメーションの世界に戻り、兄であるロイと共にディズニー・ブラザーズ・スタジオを1923年に設立し、再びアニメーション制作を開始する。当時のアメリカのアニメーションスタジオ・配給・興行会社の多くはニューヨークに存在し、ハリウッドにあったディズニーの会社は交渉などに関して不利な状況にあった。ディズニーはアニメーターから足を洗い、プロデューサー職に専念することになる。そして『アリスシリーズ』と呼ばれる実写とアニメーション合成の作品を手がけていく。この『アリスシリーズ』で評価を高めたディズニーはユニバーサル映画の「うさぎを主人公にした映画を」という発注に答える形で、1927年に『幸せうさぎのオズワルド』を制作。ユニバーサルスタジオ側からは芳しい評価は得られなかったものの、公表すると人気を博して、キャラクター商品が出るほどのヒットとなった。ディズニーはもちろんヒットしたことで制作費は上がるだろうと考えていた。制作費の値上げを要求したのだ。しかし、その目論見は淡くも崩れ去った。逆にユニバーサル側から制作費の値下げを要求され、できないのならスタッフと作品を渡せと告げられたのだ。結果、多くのスタッフは引き抜かれ、権利も取り上げられてしまった。この時、ディズニーは大手の下請けは二度としないことを誓った。これが2度目の挫折である。
なお、余談になるがユニバーサルスタジオは『オズワルド』の権利を得た後はどうなったのか。『オズワルドシリーズ』の人気は製作者が変わったことで話の雰囲気が変わってしまい、人気は下降線を辿っていく。そして、『オズワルド』はあまり人前に出ることがなくなっていく。数年前までは大阪にあるUSJで見ることができる程度だった。しかし、2006年にユニバーサル側とディズニー側が権利をディズニー側に移転することに合意した。現在、東京ディズニーランド内にあるディズニーギャラリーにてオズワルドを見ることができる。79年が経ってようやく製作者側に権利が戻ってきたことになる。ミッキーマウスも兄が自分の所に帰ってきてうれしく思っている事だろう。
話を戻そう。その後、 1928年にディズニーはミッキーマウスというキャラクターを使った『蒸気船ウィリー』を制作し公開する。ここでディズニーの人生は大きく変わっていく。上映劇場が決まらずに単館上映で始まったこの作品は大ヒット。配給会社がディズニーの元に殺到する。その結果、制作費が上がり始め、作品の質を上げることが可能になる。その作品がヒットし、再び制作費が上がる。好循環になり始めた。ディズニーはその後、いくつかの配給会社を渡り歩くが、大きな失敗をすることもなく1937年に長編作品『白雪姫』を制作する。短編作品ではメジャーにはなれないとの認識の上で制作に踏み切ったのだ。150万ドルの制作費と作画枚数200万枚、700人以上のアニメーターをつぎ込んで制作した作品は公開前までは「愚行」とまで言われた。しかし、興行成績は800万ドルを超える大ヒット。アカデミー特別賞も受賞した。この成功でそれまでの借入金を返済し、優良企業として認められるようになった。1938年にはブエナビスタに新スタジオを建設、1940年に念願の自前の配給会社、「ブエナビスタ」を設立するにいたった。権利を奪われたり、作品が認められず公開館を探し回って苦労したりしてきたディズニーはついに、そのような苦労をしなくとも作品を公開できる環境を手に入れたのだ。
日本のアニメーション会社は現在までも配給会社を持つほどの力を持った会社は現れていない。唯一、東映アニメーションが配給会社をもっているという考え方もできるが、あくまでも東映の子会社であり、弱い立場である。後述するが、日本のアニメーションの本格的始まりは東映アニメーションの前進である東映動画にあるといってもいい。配給会社の子会社として出発した東映動画に、日本のアニメーションの始まりがある以上、配給会社がピラミッド構造の上位である関係を崩すのはなかなか難しかったのかもしれない。しかし、TVアニメーションの始祖ともいえる手塚治虫がディズニーのように実業家としての側面があったのなら。もしかしたら独自の配給会社をアニメーション会社が設立できたのかもしれないと筆者は思う。
ディズニーから学ぶべきことはほかにもある。ディズニーは1931年にシュナード芸術学院と契約し、アニメーターを通わせ、社内にアニメーター養成専門の部署を設けてスタッフの育成に努めた。その後、ディズニーの構想に沿って1961年にカリフォルニア芸術大学が設立されることとなった。日本は近年になってようやくアニメーターの教育について考え出したが、ディズニーは数十年も前に教育について考え出していたのだ。金がなければ教育も難しいかもしれない。1931年とはディズニーの作品が世に認められ始めた時代である。しかし、日本のアニメーション会社も同様の試みを行う機会はあったはずだ。
 ディズニーはその後も実業家として、ディズニーランドの建設に乗り出していく。ディズニーが平凡なクリエイターであり、それに対して実業家としての能力が優れていたことは、アメリカのアニメーションにとって運がよかったのかもしれない。


3、日本のアニメーションの始まり

 では、日本のアニメーションはどのような成長過程を辿ってきたのか。日本のアニメーションの始まりは1917年に下川凹天が制作した『芋川椋三玄関番の巻』と言われている。この時代のアニメーション制作は、映画会社がアメリカのアニメーションの隆盛に目をつけて、制作費を出していたこともあり、安い制作費ではなかった。その意味ではこの時代のアニメーターは恵まれていたのかもしれない。また、1921年には日活の協力で日本初のアニメーションスタジオである、北山映画製作所が発足している。このスタジオは1923年の関東大震災の影響で程なく撤退してしまうが、この製作所で学んだ山本早苗(本名:山本善次郎)、藪下泰司は後に東映動画設立に関わってくる。第二次世界大戦前のアニメーションは、教育アニメーションや戦意高揚アニメーションとして作られることが多かったが、1943年に制作された『くもとちゅうりっぷ』や1945年に制作された『桃太郎 海の神兵』は高校生だった手塚を感動させ、アニメーション制作へ情熱を傾けさせるきっかけとなった。
 戦後、GHQが占領政策の一環としてアニメーション関係者を集め会社を設立させるが、GHQが望むような、占領政策の手助けとなるような作品が制作できずに会社は解散してしまう。戦後の混乱期の中で日本のアニメーション作家はどうすればいいのかわからず漂流していた。そんな中、1956年に東映が山本早苗、藪下泰司が設立した日動動画を吸収し、東映動画と名を改めアニメーション制作に関わっていく。東映動画は日本のアニメーション制作で最も成功したアニメーションスタジオのひとつといってもいいだろう。東映動画はその会社組織の範をアメリカに求め、効率的な分業システムを築いた。また、この当時は会社の社員にアニメーターが多くいた。賃金も経歴・採用種別・男女で差がつけられているものの低いものではなく、1957年に臨時採用として入社した奥山玲子はこう述べている。「東映本社採用の大卒男子が月給一万三千五百円、その下が東映動画の定期採用大卒男子、同女子、その下が定期採用高卒男子、同女子の順でそれぞれが千円から五百円くらいの差。更にその下が臨時採用で、これは男女差なく定期採用者の半分程度。」(叶精二著 『日本のアニメーションを築いた人々』)当時の公務員の初任給が9000円程であったらしいから、著しく低いというわけではなく、むしろ場合によっては東映動画のほうが給料は高い。東映がいかに会社組織というものを意識していたか、ディズニーを意識していたかがよくわかる。東映動画は1958年に日本初の長編カラーアニメーション作品『白蛇伝』を制作。この作品は興行的にも質的にも成功を収めたが、この作品の最も大きな功績は、この作品に集まったスタッフがアニメーション業界に分散していき、アニメーション業界の成長に貢献していった事である。そして、スタジオジブリや日本アニメーションといった会社を支えることとなる。
その後、1960年に制作された東映長編アニメーション第三作の『西遊記』で手塚治虫が制作に関与することとなる。『西遊記』は手塚の『ぼくの孫悟空』という漫画を原作にしたものだった。元々、手塚は上京の際にアニメーションプロダクションを探し、入社試験を受けた経験もある程、アニメーションへの思い入れが強かった。漫画にもディズニーアニメーションの演出方法を取り入れてきた。手塚は原作者として構成を担当することとなった。アニメーション制作の基本を学んだ手塚は、いよいよアニメーション制作に本格的に乗り出すこととなる。1961年に手塚治虫プロダクション(後に虫プロダクション)を設立。1963年に、日本初のTVアニメーションである『鉄腕アトム』を制作する。周囲はTVアニメーションを制作することに反対であった。何故なら東映動画が1時間半の長編アニメーションを制作する際にかかる制作費は6000万円。スタッフの数は200人から 300人。制作期間は1年半かかっていた。単純にTVアニメーションの放映時間である約25分で計算すると、制作費は1600万円余り。スタッフの数は 50人から80人。制作期間は5ヶ月である。おまけにTVアニメーションは毎週放送される。これでは制作は到底無理だった。そこで、手塚は1秒間に24コマ必要だったカットを3分の1にすることにした。しかし、それでも500万以上の制作費、15人以上のスタッフ、2ヶ月近い制作期間が必要だ。それでも手塚は踏み切った。アニメーション作家である宮崎駿によれば制作費は1話あたり50万円。明らかに収支が取れない水準にまで大幅に安く設定したのだ。当時の子供向けの番組の制作費が50万円ほどであったから、TV局が出す金額としては格安と言うわけではなかったが、アニメーション制作にかかる人件費やフィルム代などのコストを考えると採算が全く取れなかった。そのため、手塚は自身の漫画の原稿料や作品の再放送、グッズ販売などの版権ビジネスで収支を埋めようとした。この格安な制作費で仕事を受注したことについては、賛否両論ある。手塚がこの時、制作に踏み切らなければ日本のTVアニメーションは10年遅れていたという指摘もある。海外へのアニメーション販売の際にも低価格に抑える事が出来たため、日本アニメーションが有名になるきっかけとなったという声もある。しかし、この時の受注価格が業界のスタンダードになってしまい、そのしわよせが安い給料と、長時間勤務を志でカバーするという、アニメーターの労働環境に影響を及ぼした事は否定できない。後に手塚自身も安い制作費で受けた事は失敗だったと語っていたという。宮崎駿は手塚治虫が死去した際に、追悼文を掲載した『コミック・ボックス』の中でこう述べている「アニメーションに対して彼がやった事は何も評価できない。虫プロの仕事も、ぼくは好きじゃない。好きじゃないだけでなくおかしいと思います。」宮崎駿は東映動画時代に労働組合活動に携わり、労働環境について声を上げてきただけに余程、腹に据えかねる思いがあったのだろう。いずれにせよ、『鉄腕アトム』は放送開始し、視聴率は平均で30%を超える人気作になる。そして、日本のTVアニメーション制作が本格化していくことになる。
1960年代は、まだ東映動画などの多くのプロダクションのアニメーターの多くは社会保障のついた社員が多かった。しかし、この制度が徐々に崩れていく。社員という立場に胡坐をかいた者が動画をほとんど書かずに給料をもらったりするケースが出てきたのだ。その結果、独立してプロダクションを構えたり、新興プロダクションに引き抜かれて出ていく者が出始めた。さらに1970年代になると、高度成長により、労働コストが増大していく。給与水準は1970年には30人以上の事業所を対象とした月間給与総額が75700円となっている時代である。しかし、その割に制作費は増えない。社員として使えない者までおいておく状況ではなくなってきたのだ。そこで会社は、出来高契約や業務委託契約に切り替えていく。この切り替えにより、会社側は仕事量に応じた労働調整を行いやすくなった。もちろん、労働組合は反発したが、次々とプロダクションはこの制度を導入していった。


4、現代のアニメーション産業の労働環境

 では、現在のアニメーターの労働環境はどうなっているのだろうか。ここで皆さんに質問したい。さて、あなたは月にどれくらいの給料を得ているだろうか。自分の給料と自分の生活水準を考えながらしばらく読んでいただきたい。
東京都が定めている雇用者が労働者に最低限、支払わなければならない賃金は時給719円となっている。これに対して、アニメーターの給料を見てみよう。 2005年に日本芸能実演家団体協議会(以下、芸団協)がアニメーターの労働環境について調査を行なっているが、そこには労働環境がいかに厳しいものかが示されている。アニメーターの給料は多くの場合、歩合制である。そして、芸団協の調査によると「動画マン」と呼ばれる職種の平均動画単価は1枚186.9 円、月の労働時間は250時間となっている。一般的に、「動画マン」の月の作業量は500枚といわれており、そこから考えていくと「動画マン」の月給は 93450円。時給換算では約374円である。東京都が定める最低賃金の約半分である。
この月給で暮らしていくことが出来るとお考えの方はいるだろうか。地方から上京して部屋を借りて住むには、無理のある数字だ。実家暮らしでなければ無理な額である。この「動画マン」という職種は後述するが、新人アニメーターがまず通らなくてはいけない職種であり、この賃金の低さがアニメーター志望の若者を減らし、入ったとしても結局、耐え切れずに辞めていく一つの要因になっている。アニメ関係者に話を聞いてみた。

―動画187円という状況で働いている人はどういう雇用形態の方なのですか―
「プロダクションに所属はしているけど、完全歩合制。やった分しかお金が出ない人。もしくは机を借りている人。」

―1枚いくらではない方法で、例えば時間単位の固定給とかは無理なのでしょうか―
「出来高の難しいところは封筒なら100枚200枚でも同じだけど、動画はカットによって1枚5分で出来るカットもあれば、極端な話、1日かけて1枚というカットもある。でも同じ1枚としてカウントされる。絵描きさんの成果物への評価は難しい。時間でやると上手い人は早く出来ちゃって、遅い人は時間がかかる。下手な人のほうが1枚単位で考えると給料がよくなる。かといっても難易度でやると、誰がその難易度を評価するのか。」

―年収100万円未満の人は26.8%いると芸団協の調査ではありますが、実際いるのです―
「常に入れ替わっているのではないか。辞めてって、新しく入ってきてって。その給料で10年もいるとは考えられない。」

この状況は労働基準法違反ではないかとの考える方もいるかもしれない。しかし、この辺は非常に曖昧な状態になっている。アニメーターの多くは、アニメーション会社の社員ではなく会社と対等な立場である個人請負労働者である事が多い。個人請負労働者の代表としてはプロ野球選手が上げられる。彼らは毎年、個人事業主として球団と対等の立場で交渉して給料を決定する。彼らには社会保障はない。プロ野球選手でケガをして労災が認められたという話を聞かないのは、個人請負労働者だからだ。近年、この個人請負労働者が増加していると言われており、社会問題になっているが、その話は置いておく。個人請負労働者には、会社との雇用関係が存在しないため、成果物(アニメーターの場合は原画や動画)を出せばいつどこで働いてもいいのだ。そして、その成果物の量に応じて賃金が支払われている。そのために、先に上げたような低賃金でも明確な雇用関係が存在しない以上、労働基準法違反とは言えないのである。しかし、現実は雇用関係が存在しないといっても、通常の社員と同じようにスタジオで働いたり、時間を拘束されるケースもある。また、労働基準法第27条には「出来高払制その他の請負制で使用する労働者については、使用者は、労働時間に応じ一定額の賃金の保障をしなければならない。」と記述されている。アニメ関係の学科を設立している、とある専門学校の就職担当者はこう語る。

「求人票に書いてある条件が、一般系の会社と随分違う。ある会社は正社員といいながら、給与は完全出来高制です。社会保険がないので国民健康保険に入ってもらわなければなりません。年金も国民年金に入ってもらわなければならない。雇用保険もありません。そこで私は返す言葉を失ってしまいました。」

最低賃金を保証しないアニメーション会社も存在する現状は、違反に近いグレーゾーンであるといえる。現状は違反であるのかどうなのか、アニメーション会社が多く存在する杉並区、大田区を所管している労働基準監督署などの労働行政に携わる部局に話を聞こうと試みた。しかし、答えは
「個別の業種で統計を取っていないためわからない。また、個人的にもアニメーターの相談事例は聞いたことがない。」
との答えだった。ある監督所の応対に出た職員は可能性と前置きした上で
「現状が労働基準法に違反していると思っていない、相談する余裕がない、諦めている、この内のいずれかかもしれません。」
と話した。労働行政に直接携わる立場ではないが、産業振興行政としてアニメーション業界に関わり、業界関係者との懇談の機会も多い、杉並区産業振興課アニメーション係の田口昌実氏はこう語る。

―アニメーション現場の労働環境について行政はどの程度把握できていますか―
 「制作会社によって労働条件はまちまちですね。1枚単位の完全歩合給の会社もあれば、固定給の会社もあります。個人請負としてで、作業場を会社に用意している。机を貸している。社員として入社しているわけではないのですね。新人で入ってアニメーターになる場合は月収5万とかですね。とてもやっていける金額ではないという実態はあるみたいですね。」

―これは労働基準法に違反しないのでしょうか。―
「請負業ということになりますと労働基準法の対象外みたいなのですね。ただ、現場の指揮命令関係とか見ると、グレーゾーンくらいかもしれないですね。監督官庁がどう捉えるかですが。ですから、今後の日本のコンテンツビジネスであったり、クリエイターであったり、そういったものに携わっている人が今後も続けて活力を失わない形で人を育てていくには、それなりの法整備であったり法解釈をきちっとやったほうがいいのですけど、なんとなくグレーゾーンでやってきてしまったのかもしれないですね。」

やはり、労働問題だけに地方自治体ではどうしようもないという無念さを田口氏は感じているように思えた。もっと大きなうねりを起こせないか。試行錯誤している様子が見て取れた。経済産業省が2002年に出した『アニメーション産業研究会報告書』など、行政組織が出している各種報告書には「有能なクリエイターが存在しても低賃金や厳しい労働環境を忌避して他の業種に流出してしまう」という旨の記述が必ずといっていいほどある。しかし、労働行政の現場の人間は実態を把握できていないし、把握している人間は労働行政に関わっていない。縦割り行政というお決まりの言葉をあまり使いたくはないのだが、もっと相互に連携を取る事で改善できる事もあるのではないだろうか。この状況を改善するために、労働組合も動いている。2005年に映画演劇関連産業労組共闘会議が、多くのアニメーション番組の発注元である民間放送局に対して、「TVアニメーション1本につき制作費は2300万円を」「新人アニメーターの給料を最低賃金レベルは保障すること」などを要望書として提出した。発注元が必要な制作費をアニメーション会社に支払わなければ、賃金の改善は望めない。先述した専門学校の就職担当者も
「個々の会社に責任をなすりつけていいのかというと難しい。放映権を持っている上流に位置する会社がどれだけの制作費を渡しているかだ。」
と指摘する。要望書を受け取ったTV局の積極的な取り組みが望まれている。


5、増加するアニメーション放映数と人材不足

 今、日本国内で週に何本TVアニメーションが流れているかご存知だろうか。週40本だろうか。週50本だろうか。徳間書店が刊行している月刊『アニメージュ』06年10月号によると、週に83本放映されている事が確認できる。06年7月には週103本放映されていたと言う話もある。十数年前までは週40 本程度の放映本数であった。このアニメーションの放映本数の増加には理由がある。BSやCSなどの多チャンネル化が進み、また地上波の深夜枠など新たな放映枠があり、そこにビデオやDVDなどの販売収入を見越して、TVアニメーションを放映し始めたのである。では、現場のアニメーターの数は増えたのかと言うとそうではない。賃金の低さからアニメーター志望の新人は定着しづらい現状が続いている。制作工程の一部を海外に発注することでしのいでいる現状がある。
 製作工程の海外発注はアニメーション産業のさらなる空洞化を招く危険性が指摘されている。アニメーションを制作する上でアニメーターは必要不可欠な職業だ。アニメーターをさらに細分化すると、「原画マン」「動画マン」「作画監督」に分けられる。「原画マン」とは動き始めと終わりそして緻密なカットの場合は要所の絵を、全くの白紙から描き上げていく人間の事である。「原画マン」が描いた絵を元に「動画マン」は原画と原画の間をつなげ、動きをつける。「作画監督」は「原画マン」が描いた絵を、バラツキが出ないように修正したり「原画マン」にリテイクを出したりする人間である。一般的にはアニメーターは新人の頃は「動画マン」からスタートする。そしてある程度の経験をつけた上で「原画マン」、そして「作画監督」へとステップアップする。製作工程で海外発注されるのは、この「動画マン」の部分であることが多い。
 つまり、アニメーターの賃金の低さが、国内の「動画マン」の人数を減らし、海外発注の増加を招く。そうした中で、国内の放映本数は増えるのにもかかわらず、「動画マン」がいないので、さらに海外発注を行なう。安価な海外発注の増加により国内の「動画マン」の仕事はなくなり、さらに「動画マン」が減るという負のスパイラルに陥っている現状がある。
発注する側としては賃金が安ければ安い方がいいので、海外発注に頼る傾向が強くなるのは当然とも言える。先に上げたように「動画マン」という職種はアニメーターの入口であり、通らなくてはならない道である。「動画マン」を経験する人間が少なくなればなるほど、「原画マン」の人間も少なくなり、質も低下していってしまう。このような危惧が現在のアニメーション産業には存在する。実際、アニメーションの現場で働いている方は現状についてどう考えているのか。あるアニメーターに話を聞いてみた。この方はアニメーターとして20年以上の経歴があり、「作画監督」としても活躍している。

―現在、アニメーターの人間は増えているのですか。―
「今、TVアニメーションの放映本数が増えている。十数年前は30本ほどしかなかったが、今年は100本くらいあったと聞いている。あとはDVDの販売のみの作品もある。その割にアニメーターは育っているかといえばそうではない。人間も増えていない。その分はおそらく海外への発注でまかなっている。」

―制作会社は儲かっているのですか-
「東京のアニメーション会社は百数十社あるが、儲かっているのはほんの一握りではないか。あとは自転車操業だと思う。大きい制作会社は株式を上場するなど、産業としては成り立っていると思う。ただ、本来制作会社はもうからない。自分で権利を持って作品を作るという会社でなければ利益が薄い。下請けで作品を制作しているような会社だと厳しい。そういう会社に利益を還元できていない。下請けをいじめている構図はあると思う。」

つまり、先に上げたようにTV放映だけでは元は取れないということである。日本貿易振興機構がまとめた『日本のアニメーション産業の動向』によると、「TVアニメーションは、ほとんどの作品が赤字と言われており、大半のアニメーション制作会社はビデオ・DVD化やキャラクター商品販売などのコンテンツの二次利用で収益確保を行なっている」とある。権利を持っていない下請けの制作会社は、小額の制作費のみで利益が出ない事が多い。有名な話として、『新世紀エヴァンゲリオン』を制作したガイナックスという会社は、1990年にNHKで放映されたアニメーション作品『ふしぎの海のナディア』という作品を制作したが、下請けの下請け。つまり孫請けの立場だったため、作品の根幹部分をガイナックスが制作したにもかかわらず、権利のほとんどを保持出来なかった。収支としても、赤字に終わった。

―動画は海外発注が多くなったと聞いています―
「今は「原画マン」も足りない。動画が海外に流れているから、アニメーターになるための窓口が狭くなっている。限られた中でやっていくしかない。」

―アニメーターを志していた人はどこにいってしまったのでしょうか―
「上手くても、やりたいと思っても、安い賃金じゃやっていけないと思って、ゲームとかの方に流れていく。人手が足りなくなっているのは当然かなと思う。作品の数も増えれば、人手はさらに足りなくなる。」

ゲーム会社に勤める知人によると、ゲーム会社の労働環境も残業が日常的に存在するなど決していいものであるとは言えないが、アニメーターのように月収9万円ということはあまり無いということである。また、ヒットした際のインセンティブがあるケースもある。このことから、ゲーム業界への人材の流出を懸念する声は多数存在する。

―新人に対して、動画教育はしないのですか―
「動画を書く機会は減っている。原画を描くとその絵はフィリピンの工場に行っちゃうから現 場に残らない。育てるための訓練の機会が減っている。私の会社では育てようと思っている新人には、本当は海外に出てしまう動画を残している。人がいなければいないでフィリピンに流れてしまう動画だ。昔はプロの「動画マン」がいたのだが。」

―「原画マン」になったら多少、収入面は安定するのでしょうか―
「描く方からすればやりがいはあるし、動画よりも収入は高くなる。フリーでやっている人も動画だけやっても食えないから、すぐ原画に上がるのが普通になっている。技術的に大丈夫かなと思う人が「原画マン」になっている。でも、今のシステムだとそれでもやっていける。「作画監督」などがカバーしてくれる。」

―本来だと国内で動画を描ける環境があって、動画で暮らしていける環境があることが理想的な環境ではあるのですよね―
「そうですね。作業の流れからいうと、順当に上がっていかないと次の人に渡すための指示が書けない。「原画マン」は「動画マン」の仕事がわからないとダメだし、「作画監督」はそこまでの全ての段階をわかっていないと出来ない。次に誰が描くかわからないのだから、ある程度共通の理解がないと。だから、いきなり原画から始まった人とかはどこか危うい感じがする。」

―今、動画から段階を踏んでいく育成システムが崩れそうになっているという現状があると思うのですが、その改善はどこがやろうとしているのですか―
「それぞれの企業で自前で育てるシステムを作り上げているところもあると思う。よく言われるのは、いまさら動画は戻ってこないということ。それを前提に教育をしていくしかない。昔は裸一貫でやってきて、成り上がっていくのが普通だったのだけど、今はどちらかというと専門からというのが多い。」

インタビューに答えてくれた方は大手の会社に在籍しているため、育成システムが確立しているようだが、中小の制作会社となると育成システムが確立せずに、即戦力としての人材を求めてしまうため、十分な教育を施さず、「危うい感じ」のまま育ってしまうケースもあるようだ。しかし、そのような人が長期的にやっていけるほど甘い世界ではない。結局、壁に当たってしまい辞めていくケースも多いと、このアニメーターは語っていた。

近年、「動画マン」不足に対して危機感を覚えた会社は対策を講じ始めている。関係者の方が話しているように、本来ならば海外に発注する予定の動画をあえて社内に残して、教育のために描かせたり、専門学校のような講座を開設したりする会社も増えている。行政側でも「動画マン」不足の問題は把握しており、後述する杉並区では、少しでも動画経験を積んでから会社に入ってもらえるように区の主催で塾を開設している。ただし、この関係者の話によると動画経験期間の短縮化は依然としてあるようで、動画の経験不足が原画の質の低下を招いているという話もある。


6、人材育成

では、人材の不足について対策をどこも行なっていないかというとそうではない。近年、「動画マン」不足に対して危機感を覚えた会社は対策を講じ始めている。先述した関係者の方が話しているように、本来ならば海外に発注する予定の動画をあえて社内に残して、教育のために描かせたり、専門学校のような講座を開設したりする会社も増えている。行政側でも「動画マン」不足の問題は把握しており、中小のアニメーション制作会社が集まっている杉並区では、少しでも動画経験を積んでから会社に入ってもらえるように「杉並アニメ匠塾」というアニメーター養成講座を主催している。今年で5年目を迎え、今までに20名弱の卒業生を輩出している事業である。この事業について杉並区産業振興課の田口昌実氏に話を聞いた。

―区としてはアニメ産業の労働状況についてどのような懸念を持っていますか―
「今現在、問題になっているのは、駆け出しのアニメーターのところですね。一説には3年くらいで8割が辞めてしまうといわれていますが、そういった若いアニメーターがどんどん辞めてしまって、技術を蓄積する前にいなくなってしまう。では、現在残っているアニメーターの方がいなくなってしまった時に日本のアニメーションはどうなってしまうのだろう。そういった心配がある。」

―では区としてはどのような対策を考えているのですか―
「少しでも人材育成が出来ないかという事で、杉並区では「杉並アニメ匠塾」というのをやってみたのですが、構造的な問題が急に変わるわけではない。根本的に環境変化をするためにはもう一工夫二工夫必要かなと思います。それは一地方自治体が叫んでも、なかなか難しく、例えばTV局との関係であったり、著作権の問題であったりするので国を含めて大きな議論を巻き起こしていかなければならない。その点については我々としては問題を訴えかけてるしかない。」

私が杉並区に取材に行った際に少々驚いたのは、区としてアニメーションのイベントや養成講座を開くなど、積極的に動いているにもかかわらず、職員の数が少なかったことだった。かなり限られた人員でやりくりしているようで、田口氏の言うように、地方自治体レベルでは大きなうねりを作り出すには少々難しいように見えた。

―今、『杉並アニメ匠塾』を卒業なされた方というのは毎年6,7人出ているようですが、離職率というのはどうなのでしょうか-
「実際残るのは5割程度ですね。これが低いか高いかというのは議論の余地があるかと思うのですが。2期生は誰も残っていない状況なので。いろんな理由で辞めていきます。頑張りすぎて体調を崩す方もいるし、結婚で辞めていくケースもある。残念なケースもあるが、今も続けている方は着実に経験を積んでいるので、これからのアニメーションを支えてくれればいいなという思いはあります。」

修了者が少なく、「アニメーション塾」を始めてからまだそれほどの期間が経過していないので、何とも言えないが、5割という数字は健闘している数字だと私は捉えた。

―『杉並アニメ匠塾』を始めた経緯は、人材不足というのが一番の理由なのでしょうか―
「そうですね。中小の制作会社と話していた際に、韓国、中国にどんどん仕事が行っていると。日本のアニメーションの現状は教える人も少なくなってきていると。昔はたくさんいて、教えたり教えられたりという好循環があったのだけど、人件費という問題で海外に出しちゃう。そうすると、コアなスタッフしかいなくて新しい人に技術を伝承していくというのがなくなってしまうと。今後、優秀なクリエイターを生み出す土壌がなくなってしまうという現状を聞きまして、区としても小さいことでもいいから力になれることはないかと。人数は少ないながらも今年の5期生までやってきたわけです。」

―人材育成のシステムが崩れかけているから、行なったということですか―
「そういってもいいと思います。個々の会社では違うかもしれませんが、大手から分離独立していったスタジオや中小の会社では人材育成が出来にくい現状があります。特に杉並区は中小のスタジオが多いので。」

杉並区のこの事業は行政がアニメーター養成を行なう先駆け的な事業として評価されるべきだろう。特に余裕のない中小のスタジオは、人材育成に専念するのはなかなか難しい状況があった。しかし、『杉並アニメ匠塾』も今、岐路を迎えている。大手プロダクションは先述したように独自で講座を開くなどして人材育成に乗り出しつつある。例えば、東映アニメーションでは研究所を設立してアニメーター教育を行なっている。また、『機動戦士ガンダム』を生み出したサンライズも2005年から現場で有給の作画実習を行なう事業を始めている。また、業界団体である有限責任中間法人日本動画協会は経済産業省の支援を受けて、アニメーター養成プロジェクトを2006年10月より開始した。また、2005年に杉並区議会では堀部やすし杉並区議より次のような意見が出ている。

「思うに、杉並区のアニメ産業が総じて活性化し、真に発展していくためには、杉並に存在する中小の事業者がタッグを組み、大手の下請から脱却し、元請となっていくことが不可欠と考えます。知的財産ビジネスにおいて、独自のコンテンツを持つことなく、いつまでも下請のままでいるのでは、大きく飛躍することはできないと考えます。~(中略)~アニメ匠塾についても、人材育成という趣旨で行われてはおりますが、現状においては、アニメを志す人材はいるものの、むしろ育成をしても人材が定着しないという点に、より大きな問題があるのですから、行政が毎年数人程度の初期の人材育成に協力したとしても、それがアニメ産業全体の持続的発展、飛躍的発展につながっていくとは考えがたいことであります。」

非常に的を射た意見である。確かに人材育成が困難な状況になりつつあるとはいえ、そもそも賃金の低さに起因する定着率の悪さもあるのだから、その点も改善しないと状況はよくはならない。賃金の改善と教育は両輪なのだ。しかし、先述したように地方自治体では出来る事が限られているのも現実である。区として何が出来るのか、杉並区の苦悩が見える。


7、まとめ

秋葉原に足を運んだ。今、秋葉原の町は十年前とは様変わりしている。駅前広場にはアニメのコスプレをしている人や、メイド服を着た人がチラシを配っている。秋葉原のメインストリートである中央通りに沿っている店舗は家電店が撤退し、キャラクターグッズなどの販売店が増加している。駅前の再開発で建てられた「秋葉原UDXビル」には「日本動画協会」や「東京アニメセンター」が入居している。その中の「東京アニメセンター」に入ってみた。広さはそれほどないのだが、ポケモンやムシキングの展示や上映などがあり、日曜ということもあってか子連れの親子でにぎわっていた。この子供たちの中でアニメーションを作ろうと志すものがどれだけ出てくるのかわからない。しかし、少なくともアニメーションをやろうと志した者が、労働環境によって入ってすぐに消えていってしまう状況は、あまりにも寂しいし夢がない。
知人のアニメーション業界関係者によると、ステップアップして行った者の中には、自分がきつい思いをして今のポジションにいるため、同じ苦労をするのは当然だという考えもあるそうだ。しかし、海外発注が増えてしまい、アニメーターの不足が叫ばれている中でそのように、のんびり構えていていいものだろうか。
アニメーターを志す若者に、子供に対して少しでもいい環境を作り出すためにどうしたらいいのか。国もアニメーションは日本の文化であると、取り上げるのであれば状況改善のための政策を考えていかなければ、いつまでたってもこの問題は改善しないし、中国や韓国のアニメ技術が向上しつつある今、追い抜かれてしまう事になる。


参考文献
山口康男『日本のアニメ全史』(2004 テン・ブックス)
叶精二『日本のアニメーションを築いた人々』(2004 若草書房)
日経BP社技術研究部 『アニメ・ビジネスが変わる』(1999 日経BP社)
日経BP社技術研究部 『進化するアニメ・ビジネス』(2000 日経BP社)
夏目房之介『手塚治虫はどこにいる』(1995 筑摩書房)
別冊宝島『日本のアニメ』(2002 宝島社)
野村総合研究所オタク市場予測チーム『オタク市場の研究』(2005 東洋経済新報社)
日本貿易振興機構『日本のアニメーション産業の動向』(2005 日本貿易振興機構)
労働政策研究・研修機構『コンテンツ産業の雇用と人材育成』(2005労働政策研究・研修機構)
経済産業省アニメーション産業研究会『アニメーション産業研究会報告書』(2002 経済産業省)

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